新約聖書 使徒言行録 パウロの異邦人伝道は現代社会の出発点
今日は12月25日のクリスマスということで、新約聖書の使徒言行録を読んでみました。オンラインで聖書の講義をして下さる方がいて、先日使徒言行録が終了したため、改めて通読したものです。使徒言行録は、簡単に言えば、パウロの異邦人伝道の記録ということになるかと思います。
パウロのもともとの名前はサウロですが、彼はキリスト教徒を迫害しており、最初のキリスト教の殉教者と言われるステファノの迫害にも加担した人物です。ところがある日、ダマスコ、現在で言えばシリアの首都であるダマスカスのことですが、そこに向かう途中で回心するわけです。イエス様がサウルに対して、「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と語りかけ、サウルが「主よ、あなたはどなたですか」と聞くと、「私はあなたが迫害しているイエスである。」(使徒9章4-6節)と、こういうふうにおっしゃるわけですね。
そして、「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に私の名を運ぶために私が選んだ器である」(使徒9章15節)と、こうおっしゃるわけです。それで、パウロはイエス様のことを知り、心を入れ替えて、イエス様の語られた言葉を伝えるために、命をかけるわけです。ここでのポイントは、異邦人に対して伝えるということです。異邦人というのは、ユダヤ人以外の人々です。
異邦人伝道のために、非常に大きな障害となるものが何かといえば、律法です。もともとイエス様は、律法の目的を成就するために地上に来られました。「私が来たのは、律法、預言者を廃止するのだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5章17節)とおっしゃいました。特に、割礼を受けない者はイエス様の言葉を伝えないと、ユダヤ人のキリスト教徒たちは言っていたわけです。しかしそれでは、キリスト教はユダヤ人以外には伝わらなかったはずです。世界中にイエス様の言葉を伝えるためには、異邦人に対する伝道が必要で、ここに割礼というユダヤ人特有の条件をつけてしまうと、ユダヤ人だけの宗教に留まらざるを得なくなります。だからこの条件は絶対に外さなければならず、パウロはそのために既存勢力であるユダヤ人の律法主義と戦ったわけです。
そのためにパウロが強調したのは、「信仰義認」です。キリスト教が非常に重視するのが、「信仰によってのみ義とされる」ということです。これはパウロが言い出したことではなく、そもそもアブラハムが信仰によって義とされたことが出発点です。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創世記15章6節)。パウロは、この「信仰義認」を強調します。「信じる者は皆、この方によって義とされるのです」(使徒13章39節)と語り、割礼をキリスト教の条件にしようとするユダヤ人の守旧派と戦い続けました。パウロが掲げた「信仰によって義とされる」という主張は、異邦人伝道において、絶対的に必要なポイントだったのだと思います。
パウロは3回にわたって伝道旅行をしました。第1回伝道旅行はトルコ半島、いわゆる小アジアと言われる地域でした。そこで、ガラテヤ地方も伝道するわけです。伝道対象は、その地域にいたユダヤ人たちでしたので、世界伝道というものではなかったようです。
ところが第2回の伝道旅行では、イエス様ご自身がアジアではなくヨーロッパに行くように、方向を示されます。「ミシヤ地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それでミシヤ地方を通ってトロアスに下った」(使徒16章7節)ということです。トロアスというのは、シュリーマンが遺跡を発掘したあのトロイのことです。
それでパウロ一行はダーダネルス海峡を渡ってマケドニア地方に渡りますが、そこはギリシャであり、即ちヨーロッパということになります。だからこの第2回の伝道旅行のこのタイミングが、ヨーロッパ伝道の出発点になったわけです。第2回伝道旅行が終わると、直ちに第3回伝道旅行にでかけますが、コースはほぼ同じで、ギリシャ地方に行きました。
さて、パウロは第三回の伝道旅行から戻ってくると、エルサレムでユダヤ人の守旧派の人々によって逮捕されてしまいます。そこでパウロは牢獄に入れられて、ユダヤ人たちは処刑してくれとイスラエルの大隊長に申し出ますが、パウロがローマ市民だとわかると、今後はフェリックス総督に話を持ち込みます。フェリックス総統は、パウロに何の罪も認められませんでしたが、そのまま放置しました。その後任のフェストゥスに対して、パウロはローマ皇帝に上訴を申し出ます。そうして、パウロはローマに護送されます。途中で難破しますがマルタ島にたどり着き、最後にローマに到着しました。パウロはそこで、ローマ伝道を始めることになるのです。もしエルサレムで逮捕され牢獄に入れられなければ、ローマに行くこともなかったかもしれません。まさに、世界伝道のたねに、全て神様が準備されたものだと思います。
結局それが、西洋にキリスト教が広がることに繋がりました。その後、キリスト教はローマ国教となり、ローマ法王が絶大な権力を誇り、宗教改革を経て西洋文化を形成することとなります。そして、基本的人権の尊重という倫理観、民主主義という政治の仕組み、資本主義という経済の仕組みとして、結実したのです。それが世界中に伝播し、今日の世界の仕組みを形作ることになるわけです。
使徒言行録を読んで、これは単なるキリスト教の歴史ではなく、西洋の歴史であり、さらに言えば今日の日本を含む世界中の社会の歴史であると、思いました。パウロの異邦人伝道、世界伝道がなければ、現在は全く違ったものになったかもしれません。そういう意味で、パウロという一人の人物の言動は、極めて重要な内容を持っていると思いました。