真の父母とは、栄光ではなく苦難の道

文鮮明総裁と韓鶴子総裁は、人類を救う真の父母と宣言されています。私たちは家庭連合の信者として、このお2人を尊敬し敬愛しているわけです。それでは、真の父母は栄光の方かといえば、苦難の道です。なぜなら、地上のありとあらゆる非難を受けるからです。

文鮮明総裁は、あれだけ日本人の信者を愛されたのに、「反日」などと非難されます。あれだけ性に対して厳格なのに、「淫教のメシア」などと非難されます。北朝鮮が成立する前の平壌で宣教していたら、共産党によって刑務所に入れられたこともあるし、アメリカで教会のお金を文鮮明師名義の口座で預かっていたら、利子収入に対する脱税として刑務所に入っていたこともあります。
韓鶴子総裁にしても、文鮮明総裁の没後、その使命を果たそうとしているのに、贅沢三昧をしているなどと非難されます。およそ、考えらえる限りの罵詈雑言を浴びせられているわけです。

文鮮明総裁も韓鶴子総裁も、できれば真の父母にはなりたくなかったに違いないと私は思います。人類を救済するなどという、あまりにも責任が重く、実現不可能に見える事業の責任者になるということだからです。もし私だったら、逃げ出してしまうと思います。そんな大変な道を行くことは、耐えられないと思うからです。

これは、イエス様にしても同じ話だと思います。イエス様は、ユダヤの王として期待されたし、ユダヤの人々を愛しました。しかし、イエス様の使命は、全人類の救済です。それで、あまりにも高い神のみ言葉を語りましたが、それが仇になって、律法学者を始めとする守旧派に陥れられ、最後は人々の嘲笑を受け、愛した弟子たちも皆逃げて、たった一人で責任をとるために、十字架に上げられたのです。キリスト教会では、イエス様は神そのものであるとしていますが、イエス様には肉体があり、のどは渇くし、釘で打ち付けられれば苦痛でもだえるし、なにより栄光の立場であるべき方が、惨めに極刑にされるという屈辱を受けられました。人類のメシアという看板を掲げなければ、そんなことにはならなかったわけです。愛した者から裏切られ、殺される。なんと哀しい物語ではないでしょうか。

私たち家庭連合の信者は、真の父母を信じるというそれだけの理由で、世間から白い目でみられ、迫害されています。しかしこれは、真の父母の辿ってきた道をわずかながらでも追体験をする機会でもあります。2年前の安倍元首相の暗殺事件以降、世間で最も嫌われている団体は、家庭連合ではないかと思います。その信者だというだけで、様々な制約があります。できれば、信者であることは言わないでおいた方が無難ですが、私の場合は名前も顔も全部さらしています。私生活においても、いろいろな影響を受け始めていますが、真の父母を信じているというだけの理由で悪口を言われるというのは、考えようによっては、真の父母の哀しい思いを肌感覚で疑似体験するよい機会かもしれません。キリスト教禁制下の日本で、迫害されたキリシタンは、これでハライソ(楽園)に行けると言って感謝して死んでいったとも言われます。他責ではなく、自責で生きていくための、人生の知恵かもしれません。

動画はこちら
https://youtu.be/sOmhXQmTw_Q