宗教や教派が違っても同じ神を信じている

今日、ドラゴン牧師こと岩本龍弘氏が、内村鑑三の「キリスト教徒のなぐさめ」という著書について、解説して下さいました。大変感銘を受けました。
内村鑑三は、無教会派のキリスト教徒として、日本のキリスト教会のみならず、思想において大きな影響を与えた方です。
彼は、若い頃、所属していた教会の牧師と対立して、その教会を離れたことがあるようです。その経験から、他の宗教、教派に対する寛容が大切であると言っています。

ドラゴン牧師が紹介したKindle版の書籍を、私も買いましたので、その部分を引用します。
「私は初めて世界に多くの宗教がある理由と、同じ宗教の中に多くの宗派がある理由がわかりました。真理は、あたかも壮大なる富士山のように、偉大でありながら、一方から全体を見ることができないものです。駿河から見る人は、富士山の形はこうだと言い、甲斐から見る人はこうだと言い、また相模から見る人はこうだと言いますが、駿河の人は甲斐の人に向かって、おまえの富士は偽りの富士だと言えるでしょうか。もし自ら甲斐に行って眺めるならば、甲州人の言葉も道理だとわかるでしょう。人間の力の弱いことと真理の無限無窮であることを知る人は、思想のために他人を迫害しないものです。全能の神のみが真理の全体を会得し得るのです。他人を論断する人は自己と神を同一視するのであって、傲慢という悪魔の捕虜となっているのです。」

ある宗教、教派から見れば、自分たちと異なる神の姿を主張する他の宗教や教派は、間違っていると思えるかもしれません。
しかし神の立場からすれば、「私はここにいる。私は一人だ」ということになるのではないでしょうか。宗教や教派の数だけ、神がいるわけではなく、同じ神を、違う見方、表現で語っているに過ぎません。
それならば、「あの宗教は間違いだ」「この教派は異端だ」などと言うべきではない、ということになります。カトリックが語る神も、プロテスタントが語る神も、そして家庭連合が語る神も、同じ神なのです。
教義に拘るのではなく、同じ信仰を持つものとして、宗教者が語り合うことが大切なのではないか、と思う次第です。

動画はこちら
https://youtu.be/psV4t05OTBc