後藤牧人著 日本宣教論(2) 感動しました! 是非読んで欲しい本です
昨日ご紹介した、後藤牧人氏の日本宣教論ですが、私はとても感動しました。自分が長い間疑問に思ったことが、氷解したような思いをしています。
日本基督教団が、戦前の日本をなぜ批判するのか、疑問を持っていました。1967年に、日本基督教団の鈴木正久議長は戦責告白を行い、戦前クリスチャンが過ちを犯したと発表しました。国の政策に乗っかって、戦争を推し進め、他国を侵略したのは、クリスチャンが犯した罪だと言うのです。戦前の日本のあり方を、全て否定するような発言を、キリスト教会として行ったわけです。
それでは、戦前の日本は本当に悪い国だったのか、悪いことばかりしていたのか、と言うと、そうではないと私は思っています。当時、西洋列強は資本主義で経済力をつけて、産業革命をやり、強大な武力と経済力で、地球上のあらゆる国を侵略して、植民地化して行きました。その結果、アフリカが全て植民地化され、東南アジアも植民地化され、中国が浸蝕されました。朝鮮は、中国に朝貢して平和を保ってきましたが、中国が西洋列強に浸蝕されて、非常に不安定な状況になりました。このままでは、ロシアが朝鮮半島を我が物にしようという時に、朝鮮を守らなければならない、という動機で日本は朝鮮半島に進出しました。もしろん、それは日本の国益に適っているということもありますが、少なくともその時の動機は、朝鮮を収奪するというものではなく、むしろ朝鮮を強くするための施策を行ったわけです。
例えば、当時は両班出身の貴族が政治を行っていましたが、彼らは漢字しか使わないから、一般民衆の識字率は高くなかったところ、ハングルという韓国固有の文字を、一般大衆に広めて、識字率を高めたと言います。日本がたまさか、漢字かなまじり文を使っていたからでしょうが、そういう政策を行いました。また、台湾や朝鮮には、日本の地方大学より早く国立大学を作って、優秀な人材を育成しようとしました。さらには、鉄道を敷設し、殖産興業のために投資を行いました。
ただ、やり方があまりにも一方的で、やりすぎた面があったために、台湾や朝鮮、特に朝鮮の方々には受け入れられなかったし、それが特に韓国で現在に至るまで感情的な対立となっているのは事実です。しかし、冷静に考えれば、20世紀初頭のあのタイミングで日本が朝鮮を放置していたら、ロシアの植民地になっていたことは想像できるし、それが朝鮮にとってよかったかと言えば、決してそうではないとも言えます。
だから、一方的に日本だけが悪かったから反省しなければいけない、そういうものでもないと私は思います。日本の朝鮮半島の統治政策において、朝鮮の方々の誇りを傷つけ、強制的に施策を進め、暴行も振るったこともあるのは事実と思います。そのような多くの部分においては反省も必要と思いますが、一方的に日本だけが悪い、ということではないと思います。それなのに、日本基督教団は、一方的に日本が悪うございました、と宣言してしまうのは、残念な思いがあります。
しかし、この本を読むと、私が考えていることが、そのまま書いてあるのです。少なくとも、日本は、西洋列強のように植民地を収奪する目的ではありませんでした。
また、西洋列強が植民地化する時には、キリスト教が精神的な柱となっていたから、西洋イコールキリスト教というように思われていますが、実はそうではない、と書いています。パウロは、異邦人伝道を行いましたが、パウロが西洋的な考え方で伝道したかと言えば、実はそうではない、ということが、この本に書いてあります。パウロはやろうとしたのは、神の福音を伝えることでした。パウロは3回の伝道旅行とローマ伝道に行くのですが、第2回目の伝道旅行でイエス様に命じられてギリシャに行きます。そこでパウロはキリスト教が西洋人に受け入れられやすいヘレニズム文化を取り入れてキリスト教神学を作りました。割礼を施さなくともクリスチャンになれますよ、イエス様を信じるだけでクリスチャンになれますよ、と言ったわけです。信じるだけで義とされるのは、何もパウロが言い出したのではなく、アブラハムが神に祝福された時に言われたのです。(創世記15章6節)。
パウロの考え方によれば、西洋化することがクリスチャンになることではなく、ヘレニズム化したキリスト教がイエス様が伝えたかった福音だということではなく、イエス様が伝えたかったのは、単純に「神は愛なり」という、それだけだったのです。
西洋列強がアフリカやアジアを植民地として侵略していった動機は何だったかというと、西洋的なキリスト教を伝え、西洋的な民主主義、さらに言えば個人主義を伝えようとしていたわけです。しかしイエス様の福音を伝えようとすれば、日本のような、家を大事にして、先祖を大事して、和をもって貴しとするような文化があるところであれば、その文化に基づいて、イエス様の福音を伝えればいい、そういうことが、この本に書いてあるのです。
要するに、キリスト教文化=西洋文化ではなく、決して日本の文化と対立するものではない、こういうことを言ってるのです。だから、日本が戦前に行ったことについて、キリスト教的ではないから戦責告白をするというのは、非常におかしいということになるわけです。
日本は、あの戦争に負けて、海外の権益なども全て失いました。しかし、魂を失ったわけではなく、文化を失ったわけでもありません。
例えば特攻隊で亡くなっていった若い命があります。そういう若い命が、どういう気持ちで敵艦に飛び込んでいったかと言えば、彼らは国を守りたい、故郷を、先祖の地を、そして父母を守りたい、そのために彼らは尊い命を犠牲にして行ったわけです。この本に書いているのですが、岩波文庫の「聞け、わだつみの声」に、「私たちは国のため死んで参ります」というような戦争を肯定するような文は全部削除されてしまい、「自分はもう少し勉強したかった」「もっと生きたかった」というような言葉だけが残され、反戦文書ということにされてしまったそうです。しかし、彼らは、尊いもののためために、命を捧げたのだと思います。私は、中学・高校が鹿児島で、南鹿児島市に知覧の特攻隊基地があるのですが、そこに行って特攻隊員の家族への手紙の原文を見ました。本当に、純粋な気持ちで、父母を思い、祖国のことを思って飛び立つといいう、そういうことを書いているのです。では、彼らは何のために死んでいったのか、それは無駄死にだったのかと言えば、決してそうではない、あなた方の命は、本当に尊いもののために活かされて、今に活かされているですよ、そういう風に私は言いたいのです。彼らに対して、本当にありがとうと、あなた方のその尊い犠牲のおかげで、私たちの今の社会があるのですよと、そういうことを言いたいのです。
では、どういう形でそれが今実ってるかと言えば、日本は戦争に負けてしまったけれども、正々堂々と戦ったことで、西洋列強の植民地支配が無くなったというわけです。西洋列強が自分たちの土地だとしていた、オランダが支配したインドネシア、イギリスが支配していたインド、その支配があの戦争によって解放されました。日本は西洋列強と戦って、こういう戦争はいけない、植民地戦争はいけない、日本は負けて、一方的にやられて、原爆まで落とされて、それでも最後まで戦いきった、それで侵略戦争はいけないということになったと理解しています。その後、1960年にはアフリカの年と言われてますが、アフリカの占領政策も終わりました。東南アジアからも、西洋列強は手を引き、香港も返還されました。やはり、あの戦争の後、世界が変わったわけです。なぜ起きたかというと、特攻地の若い命、海外で亡くなった戦没者、原爆で亡くなった方々など、日本人の尊い犠牲があって、さすがにそれはよくないということで、世界が変わったとおもいます。だから日本人は、日本の歴史に対して誇りを持たなければならない。その誇りの原点になるような話が、この本に書いてあると、私は思いました。
あの戦争責任の罪の告白をしたキリスト教会の、牧師の方がこのような本を書けば、相当キリスト教会からは、白い目で見られてしまったのではないかと思います。しかし、日本の文化、日本の国ということを考えて、勇気を奮って書かれた本だと思います。アマゾンで購入することができます。定価で3500円ですが、送料込みでまあ4000円位だと思います。ぜひご一読頂ければと思う次第です。
本の購入はこちら
https://amzn.asia/d/c5jw0aM