日本宣教論
日本宣教論という本を読みました。著者は後藤牧人さんで、1933年生まれで東京都ご出身、町田ゴスペルチャペルの牧師で日本キリスト神学校を卒業され、アメリカにも留学のご経験があるということです。ある方から紹介して頂いて読みました。Amazonでも購入できます。
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私はこれを読んで、非常に感動いたしました。それは、長年わからなかったことが解決して、すっきりしたからです。
その疑問とは、以前読んだ遠藤周作の「沈黙」の中で、遠藤周作は日本人の宗教性について、疑問を呈していると思われたからです。
「沈黙」は、ベストセラーですのでご存知の方は多いと思いますが、遠藤周作のキリスト教文学の傑作と言われています。時代は豊臣秀吉から江戸時代の初期の頃、それまでキリスト教の伝道が非常にうまく行ってたのに、突如豊臣秀吉が1587年にバテレン追放令を出し、それを徳川家康が引き継いで、1613年にキリスト教禁止令が出され、多くのクリスチャンが迫害されるようになりました。
日本に伝道に行ったフェレイラ司教が離教したという噂が流れ、若いロドリゴ司教が日本に乗りこんで行きますが、彼も捕まってしまいます。拷問されて踏み絵を踏まされそうになりますが、自分は死んでも踏まないと決意します。しかし、拷問されたのは自分ではなく、日本の信者でした。結局彼は踏み絵を踏むのですが、なぜこの場に及んでも神は沈黙を続けるのか、というのがこの本の主題です。しかしこの本にはもう一つ、おそらく遠藤周作が訴えたい内容があると私は思っています。それは、離教したフェレイラ司教がロドリゴ司教に次の事ように話すのです。
「この国は沼地だ。やがてお前にも分かるだろうな。この国は考えていたより、もっと恐ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐り始める。葉が黄ばみ枯れてゆく。我々はこの沼地に基督教と言う苗を植えてしまった。」
要するに、日本はキリスト教という一神教を受け入れる素地がないと言っているのです。
キリスト教がなぜ日本に根付かないのか。日本のキリスト教人口は1%未満と言われており、世界で最もキリスト教の伝道が進まない国の一つだと言われているそうで、遠藤周作はそれが言いたいのかと思いました。ところが、その遠藤周作は、「女の一生」という小説を書いていて、幕末の1865年に、西洋人用の教会として建てられた大浦天主堂に、長崎の浦上という地域の隠れキリシタンがやってきて、プチジャン牧師が会うのです。これは「信徒発見」と言われるもので、250年もの間、教会も牧師もいない中で、隠れキリシタンはキリスト教の原型を留めたまま代々引き継がれてきたということで、当時西洋のキリスト教会では大きなニュースになったということです。
そうすると、日本人というのは宗教性がないどころか、創造主であり人格神である「神」を理解し信仰することができる、極めて高い宗教性をもった民族であるということになります。日本人は宗教性がないのか、高いのか、一体どちらなのでしょう。これが、私が長年持っていた疑問です。
そこで、この「日本宣教論」に戻るのですが、キリスト教は、もともとパウロが3度の伝道旅行を行うのですが、第2回の伝道旅行では、アジアではなくギリシャに行きました。これはイエス様が霊的に導いたのです。(使徒言行録16章7節)
そこで、ギリシャ文化とキリスト教が融合して、ローマを経由して西洋で花開いたわけです。では、キリスト教は元々論理的な構成を持っていたかというとそうではなく、論理的なキリスト教神学を作り上げたのはギリシャ文化の影響を受けたパウロであったわけです。そして西洋で個人主義という形で発展して行き、マルティン・ルターの宗教改革、そしてカルバンの宗教改革を経て、民主主義が形成されました。つまり、個人に着目し、基本的人権の尊重という形で、西洋文化が花開いたわけです。その結果、個人の能力が最大限に発揮するために、政治では民主主義、経済では資本主義が発展し、科学技術が発展して、西洋は政治的にも経済的にも、大きな力を持つようになりました。
しかしその西洋は、16世紀頃から海外に進出して、植民地政策を行うようになりました。西洋列強が植民地としたのは、アフリカ諸国、東南アジアの国々で、その基本的な方針は、侵略であり収奪です。アフリカはフランスが、東南アジアはオランダやスペインやイギリス、インドはイギリスといった形で、どんどん植民地化していきます。
その西洋列強の危険性を、いち早く察知したのが、実は豊臣秀吉でした。西洋列強は、キリスト教の伝道を口実にして海外に進出し、実際はその土地を収奪し、富を全てヨーロッパに吸い上げていきました。豊臣秀吉は、日本人が奴隷として海外に売られたという事実を見て、このままだと日本の国は西洋によって浸蝕されてしまうということに気づき、今の言葉で言えば、国家安全保障的な意味合いで、1587年に伴天連追放令を発したのです。そして、徳川家康が1613年にキリシタン禁止令を出し、海外宣教師を追放したのも、同じ意味合いであり、あくまで日本の国を西洋列強から守るためであり、ついには鎖国まで行ったわけです。
江戸時代に西洋的な技術を取り入れ取り入れなかったので、その面では遅れてしまいましたが、逆にその結果江戸時代には日本的な文化が発展し成熟することとなりました。
結局、日本はキリスト教を理解せず、宗教性がなく、宗教迫害をする国なのかと言えばそうではない、というわけです。
だから、日本において、キリスト教や、私は家庭連合の信者なので、あえて言えば家庭連合の、一神教的な神観が定着する素地がないのかといえば、そんなことはないというのが、この本を読んだ上での私の結論です。とても腹落ちしました。 江戸時代のキリスト教迫害はそのような背景であったとして、戦前・戦後にかけてのキリスト教の位置づけはどうであったか、これについてもこの本は書いてあります。長くなるので、それについては後日感想を書きたいと思います。