全国一斉街頭演説 信教の自由を守れ!
12月8月に、家庭連合の全国一斉の街頭演説ということで、私も地元の駅頭で街頭演説をさせて頂きました。
家庭連合は、解散命令請求や拉致関係など、多くの信教の自由の侵害が起きておりますので、そのような内容を訴えました。
八千代台駅をご通行中の皆様、私はご紹介頂きました世界統一平和家庭連合、家庭連合の現役の信者で、小笠原裕と申します。この場を借りて、しばらくお時間を頂ければと思います。
私は、大学一年生の時に、原理研究会に入会し、そこで統一原理を学び、家庭連合の信仰を持つに至りました。もう42年ということになりますが、この42年間、継続して信仰を保って参りました。
その間、様々な報道が行われました。1992年には、桜田淳子さんや山崎浩子さんが国際祝福合同結婚式に参加したことで話題になりましたが、無理やり結婚させられたとか、無理やり信仰させられている、信者はマインドコントロールされている、そんなことを平気で言われてきました。しかし私は、42年間誰かに信仰をさせられたということは、一度もありません。自分の意思で統一原理の素晴らしさを感じて、神様の愛をこの地上に実現したい、地上に本当の親子の関係を作りたい、そういう理想を築きたいと思って、この信仰を続けてきました。
皆さん、理想とは何でしょうか。理想を持たなければ、人間はその場しのぎでしか行くことしかできません。しかし、理想を持ったならば、その人には希望が出てくるんです。私たちは希望をもって生きていきたいと思います。その場その場、明日のことばかり心配するんじゃなくて、今日よりも明日、明日よりも明後日、そして一年後には素晴らしいことが、十年後にはもっと素晴らしいことがある。そういう希望を持って生きて行くことこそが、私たちの生きる力だと思います。そういう希望を持って行くことで、人間はどんな苦難にも耐え忍び、どんな厳しいことがあっても、前に進もうとする、その原動力になるんです。
2021年9月12日、安倍元首相が、UPF(Universal Peace Federation)の大会にビデオメッセージを寄せられました。メッセージが原因になって、山上被告が安倍元首相を暗殺するきっかけになってしまったわけですが、そのメッセージの中にこんな言葉があります。
「いつの時代も、理想に向かう情熱が、歴史を動かしてきました。理想の前には、常に壁があります。よって戦いがあるのです。情熱を持って戦う人が、歴史を動かしてきました。」
安倍元首相は、この日本をよい国にしよう、美しい日本にしよう、そういう理想を持って戦われた、そういう政治家でした。現在日本に、そういう理想、あるべき日本、熱い情熱を持って戦っている政治家がどれだけいるんでしょうか。
そういうことを考えると、私たちは理想を大事にするということ、信仰を大事にすることが、必要です。理想を築き上げるのは信仰の非常に大きな役割だと思います。
いまだ実現していない私たちが願う世界、いまだ実現してない私たちが望む世界、そういったものを思い描き、それを人々に指し示すのが、これが宗教なのです。
それは、ありもしないものを信じる、そういうものではありません。人々が願うこと、実現したいことを、「それは実現できるんですよ」、「こうすればいいんですよ」と言って、道を指し示すのが、それが宗教なんです。だから私たちは、信仰を保つことができるんです。
今、家庭連合はどんな状況にあるか、皆さんご存知だと思いますけれども、解散命令請求を受けて、この宗教団体は社会的に問題があるとか言って、潰そうとしてるんです。でもこの団体はどういう団体かというと、理想を持った団体なんです。希望を持った団体なんです。是非その希望を、理想を、人々に伝えたいと願っている、それだけのことなんです。そのことを願って、私たちはどんなことをやってきたかと言えば、お祈りもし、礼拝に参加して、わずかですが献金もしてきました。献金も、自分がもっと世界に貢献したい、社会に貢献したい、天の願いに答えたいと思って、一生懸命してきました。それがたまさか経済的に厳しくなってしまったこともあるでしょう。でもそれは、させられているのではないんです。希望を持って、世界に貢献したいと思って、やってきたんです。そういう思いを、踏みにじるようにして、団体を潰していく、そういうことをされています。
ここにいる方々は、家庭連合の人々がいますが、マインドコントロールされてるといわれているのです。マインドコントロールってなんですか。自分たちの意志を持たずに、まるでロボットのようにさせられてる、そんな自由意思のない人間がどこにいますか。私たちは、そんな人間じゃないんです。私たちは、自分たちの理想を持って戦っている、そういうものたちです。自分たちの理想を人々に訴えたい、伝えたいと思っているのです。
私たちは、悪いことをして、その言い訳をしようとしてるんじゃないのです。本当に伝えたいことがあって、思いがあって、それでこうやって日々生きてるんです。
42年間、私は家庭連合におりますが、日々の生活をしながら、社会に貢献し、多くの税金も払ってきました。税金と言えば、消費税もちゃんと払ってるし、法人税、住民税も、みんな払っています。そうやって国民の義務を果たして、一回も刑事事件を起こしたり、犯罪行為などもしたことはないんです。一市民として生きてきて、ただ人と違うことと言えば、神様の理想を持って、希望を持って、生きてきました。いまだ実現してないことを望みながら、生きている、それだけのことことなのに、それはマインドコントロールだとか、カルト集団だとか言って、ありもしないことを言われて、悪口を言われていじめられて、そうやって生きてきました。それでも私たちは、それを誰かのせいにしてはいません。私たちは理想をもって生きる、そういう人間であるから、その障害があるのは当然だし、私たちは潰れない、そういう決意を持ってこの場に立っております。
聖書の中に、ヘブル人の手紙第10章11節というのがあります。私はこの言葉がですね非常に大好きです。何て書いてあるかというと、信仰の本質が書いてあるんですね。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
どういうことかというと、神の国が来ると確信し、それが実現すると確認することなんです。確信する根拠は、現実問題を見たらどこにもありません。日々の私たちの生活を見てみれば、明日どうやって食べていこうかとか、人間関係をどうしよう、家庭の中の問題もどうしよう。順風満帆、何の問題もなく日々生活してる人なんていないんです。誰しも、自分の家庭のことでは困ったことがあります。家庭の中で、親子問題もあるでしょう、経済問題もあるでしょう。仕事の中の職場のいろんな問題などもそうです。誰しも、問題を抱えて生きているのです。私たちは、信仰することで、これは必ずいい方向に行く、私たちのこの苦労が報われる時が来る、何があっても私たちは希望を持って生きていく、それが信仰者なんです。私たち信仰者の、宗教の一番強い点はそこなんです。希望があれば、理想があれば、どんな障害があってもそれを乗り越えていくことができる、その力を与えてくれるのが、信仰の力です。神様は私たちのことを見ていて下さり、私たちのことを守ってくださる。それはなぜか。なぜ神様が私たちのことを救ってくれるのか。それは神が親だからです。親だったら子供のことを見棄てるわけがありません。どんなに苦労していたとしても、どんなに苦しいことがあったとしても、最後に救って下さる神様だから、私たちは、どんなことがあっても、迫害されても踏みにじられても、人権侵害されようとも、耐えることができる、そういう強さを持った者が信仰なんです。
だから、信仰を、信教というものを、根本から覆そうとすることは許せないんです。信仰は、あくまでも個人の自由です。私たち一人一人が、自分の意志を持って決めていくことです。信仰しようと、信仰するまいと、それは人々の自由です。それが信仰の自由ということなんです。それを抑圧し、特に国家の権力でもって、国家の強大な力で抑えていくことは、許されないことです。
そういうことをすることは、人々の自由意志を奪われ、人々の財産権を奪い、その人々が自由に希望を持って生きる、その希望を奪うことなんです。信教の自由を奪うということは、人々から希望を奪うことです。信仰の自由を押さえつけるということは、人々の理想を奪うことです。なぜかといえば、その理想は信仰から来るものだからです。こうありたい自分、こうありたい社会、こういった願いを奪うことなんです。それが信教の自由に対する侵害というものなんです、
この信教の自由というのは、信仰を持っている人だけの問題であって、信仰を持ってないから自分は関係ない、そう思っていらっしゃる方も多いかもしれません。しかし国家の力として、あるいはマスコミの強大な権力でおこなったときは、それは明らかに人権侵害なんです。人権侵害というのは、自分に関係ないことであれば無視していい、そういうものではありません。これは、日本の社会の中で、一人でも人権侵害された人がいれば、それは救わなければなりません。一人でも、人権侵害ということが起きていれば、守らなければなりません。それが信仰の自由であり、民主主義の根幹にあるわけです。
私たちは、信仰者です。私は家庭連合の信者で、それで42年間やって来ました。それを誇りに思っています。それは、常に理想を持って、その希望を持って歩んできました。大変なことがあったとしても、それを乗り越えていく力、それを信仰が与えてくれました。
神様が親子であるから、絶対に親は子供を見棄てることはない。それだけを信じて、生きてきました。絶対に信教の自由を守らなければいけないと思っております。
家庭連合の現状についてお話しします。解散命令請求がありました。解散命令について、時々勘違いされるのは、家庭連合が解散されたって、法人格はなくなるけれど、団体は残るでしょう、ということです。しかし、解散されるということは、その法人を抹消するということです。法律的に抹消する。そして財産もすべて清掃しなければなりません。家庭連合の名前で、宗教活動することができなくなってしいます。こうやって街頭演説することも、法人としてはできなくなります。ひとりひとりがバラバラでやるしかありません。家が無くなるということと一緒です。皆さん想像してみてほしいんですけども、皆さんが住んでいる家が無くなってしまう、それでも死ぬわけではないでしょ、と言われたらどうしますか。家がなくなったら、住むところが無いんですよ。こうやって街頭演説ぐらいはできるかもしれないけど、私たちが集まって信仰の話をしたり、私たちが集まって神様を礼拝するとか、そういう場所がなくなるんですよ。家が無くなってもホームレスで生きていけるじゃないか、そう言うのと同じです。違いますよ、私たちは生きて行くことができなくなります。信仰の最も大切にしているものが無くなってしまうのです。ホームレスでも生きていけるじゃないか、ということは、人間の尊厳を踏みにじることです。家庭連合に対する解散命令請求の本質は、それなんです。家を奪ってしまう、家を奪っても生きて行けるだろうなんて、そんな話ではありません。信仰を守るために、私が営々と築いてきたものを、全てその瓦解させてしまうということです。
そして、それは家庭連合だけの問題ではありません、他の宗教団体に対しても言えることなんです。宗教団体なんて、胡散臭い、いかがわしいだから、つぶしてしまえということになります。日本の社会というのは、こう自分に馴染みのないものを排除する、「排除の理論」があるんです。見慣れない異物があると、それを取り除こうとするんです。それは日本の良い面でもあり、悪い面でもあります。いい面というのは、みんなが一つの共同体として生きていこう、そういったことで日本の文化はできてきました。これは素晴らしい事だと思います。だけど異物と思ったら、それを徹底的に排除するということをやってしまえば、その中に素晴らしい種があったとしても、それを失ってしまうことになります。明日の発展をするためには、必ず種が必要です。その種から芽が出て、それが大きくなって、木になって、やがて実るのです。新しいものを作っていくためには、新しい芽を出して、成長して実らせなければなりません。
最初は普通に見えないかもしれないけども、その中に実るものがあったら、それを大切にしないといけないんです。異物を排除してばかりいたら、日本の発展は無くなってしまうんです。希望がなくなってしまうんです。だからそういうことをやってはいけない。これは家庭連合が自分たちの組織防衛のためにやってるんじゃなくて、日本の社会がどうやって生きていくか、どれだけいい社会になっていくか、そういうことを考えるために、絶対に大切にしなければいけないのが、信教の自由なんです。たとえ違ったものがあったとしても、それはどういうことなんだろう、聞いてみよう、そしてそれを活かしていこう、そういったことをやっていかなければ、日本の発展というのはあり得ないんです。
ところが、家庭連合に対する解散命令請求は、寄ってたかって、異物と思われるようなものを排除しようとするものです。なぜそう言えるかと言えば、解散命令請求に、法律的な根拠がないからです。家庭連合がいつ刑事事件を起こしましたか。家庭連合がいつ反社会的な活動しましたか。私達はこうやって街頭で訴えていますが、これも警察から道路使用許可を受けてやってます。法律を常に遵守してやってるんです。
私たちは納税の義務を果たしています。きちんとその税金も払ってます。なのにその税金を原資とする政党交付金を受けている自民党から、関係断然宣言をされました。自民党だけではありません。他の政党、つまり、公明党、立憲民主党、日本維新の会など、先日 衆議院議員選挙に候補を出した政党の全てが、家庭連合と関係断絶をするとか言ってるのです。私たち家庭連合の信者も、国民の一人なんです。国民の義務を果たしているのに、税金からお金をもらっている政党が関係断然宣言をしているという、これはどういうことでしょう。そういうことをしながら、家庭連合という団体の宗教的な生命を絶とうとする、信教の自由を絶とうとする、そして日本の希望を訴えている私たちを絶とうとする。これは単に信教の自由の侵害ということだけではなく、日本の社会そのものから希望を奪い去る、そういうことになります。
家庭連合が、もし請求されたらどうなるかと言えば、新しいことを言っていく、新しいことを訴えていく、そういう価値観を訴えている人々が、どんどん潰されていくんですよ。ええ少数意見も潰されていくんです。少数意見を尊重するという気持ちや姿勢が、消えてしまって、社会がどんどん抑圧的な、全体主義的な流れになってしまうんです。
そういうことを避けるためにも、私たちは私たちのためだけじゃなくて、組織防衛とかそういうことではなくて、日本の社会がより良いものになる、そしてきちんと少数意見を尊重する、そしていいものがあったらそれを聞いていく、それを大切にして、種から芽が出て木になって、それが実るのであれば、それを大切に守っていく。そういう社会にならなければならないと、私は思います。
本日12月8日ですが、全国一斉街頭演説キャンペーンが行なわれています。全国210カ所で行われており、ここ八千代台駅で行うのは初めてです。これは私たちの信仰者としての思いを訴えたい、そういう気持ちの発露です。マスコミは、一切報道していませんが、こういう気持ちはだんだん伝わるものです。私たちが信念を持って、気持ちを持って訴えていけば、それは必ず伝わると信じています。それが、私たちの日本のよい素晴らしい社会だと思うからです。日本というのは、お互いに助け合っていく文化を作ってきました。
そして、それを育もうとしてきました。必ず日本はよくなる、日本人は希望を持って生きていくことができる民族です。そういったことを訴えてきました。12月10日は、世界人権宣言が発表された日です。この日にちなんで、こういった全国での活動が行なわれていますので、是非皆さんもそういったことに注意を払って頂いて自分とは関係ない、そういうことではなく、日本の社会をよくするために、日本人が誇りを持って生きて行くために、私たちはこういった活動をしていますので、ぜひ考えていただければ幸いと思います。