鈴木エイト氏への後藤徹氏の裁判 拉致監禁問題を司法が明らかにすべき
昨日お話した件ですが、私なりの見解を下記致します。
本件は、鈴木エイト氏が、後藤徹氏の12年5か月にもわた拉致監禁による強制棄教被害について「ひきこもり」などと発言したことについて、後藤徹氏が名誉棄損であると訴えたものです。具体的には次のような内容でした。
①2013と2015年に、自らが主宰する「やや日刊カルト新聞」で、「ニート」「ただの引きこもり」と書いたこと
②2022年に日本テレビのバラエティ「情報ライブ ミヤネ屋」で「ほぼ引きこもり状態」と発言したこと
③2023年に、二世の会で上記について福田ますみが問いただしたところ、「どうでもいい」と発言したこと
④2023年にXで「被害者面でアピール」などと書いたこと
これについて、昨日の裁判では、原告と被告がそれぞれ意見陳述をしました。
ポイントは、後藤徹氏は、拉致監禁されていたのか、自分の意思でそこに留まったのか、ということです。
後藤徹氏の意見陳述は、これは拉致監禁であり、自らの意思で脱出することは不可能であったし、そのことを15年間、国内はもとより海外でも訴えてきたのであって、それは二度とこのような人権侵害が行われないようにするための活動であったというものです。聞くものの心を打つ、立派な陳述でした。昨日の報告会で配布されましたので、下記にリンクを貼っておきます。
それに対して、鈴木エイト氏の陳述は、拉致監禁があったのかどうか、ということには言及せず、そもそもこの裁判がSLAPP訴訟であり、言論封殺である、と論点をずらしました。次のような趣旨です。
「統一教会は正体隠し伝道を行い、金づるや労働力として信者を使う団体であり、鈴木エイト氏は問題点を指摘し続けた。拉致監禁問題とは、解散命令請求を受けるに至った団体が被害者ポジションをとるために問題化しているに過ぎない。」
意見陳述においては、拉致監禁については事実と認めるのかどうか、については触れていませんでした。しかし、前日に原告側に送られてきた意見陳述書には、次のように書いてあったそうです。
「マインドコントロールされている信者が、自分自身で考えることができるように、教団の影響が及ばない環境下などで話し合いを継続したことにより、今までに多くの教会員が自身の精神を侵していた狡猾な心理操作や統一教会の実態に気づき、脱会することを自分自身の意思で選択してきました。そのような真摯な取組み」
裁判所でこれを読み飛ばしたのは、時間の制約もあったのでしょうが、拉致監禁の事実があったことは、2015年に後藤徹氏が勝訴した最高裁判所の判決で確認されており、鈴木エイト氏はそれを否定する新たな証拠が提出できなかったからでしょう。だから、ポイントとなる、「拉致監禁の事実があったのか、自らの意思で留まったのか」については何も話さず、訴訟自体が不当だというように、論点ずらしをしたのだと思われます。
もちろん、その判断は司法が行うものであって、傍聴者に過ぎない私の印象など、判決には何の関係もないものです。ただ、この裁判は、「拉致監禁」が、家庭連合が批判を避けるためなどというものではなく、戦後最大の犯罪とも言われる「拉致監禁による強制棄教」を、司法がどのように捉えるかという、重要な試金石になるだろうと、私は思います。来年1月31日の判決を、注目したいと思います。