地の塩、世の光
新約聖書のマタイ5章13節に、「あなたたちは地の塩、世の光である」というイエス・キリストの言葉が登場します。塩というのは、少量で食べものに味をつけることができ、清くする意味があります。また光というのは、一点から周囲を明るくすることができます。つまり、イエス・キリストが、弟子たちに対して、その使命を伝えた言葉なのだそうです。私はそのようなお話を、あるキリスト教会の礼拝に参加させて頂いた時に聞いて、とても感動した覚えがあります。
この聖句には、前後の聖句があります。少し読んでみます。マタイ福音書5章10節~16節までです。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
イエス・キリストは、「地の塩となれ、世の光となれ」とは言っていません。あなた方は、既に「地の塩であり、世の光である」と言っているのです。
言い換えれば、世の中に影響を与え、人々に希望を与える人々というのは、迫害されるものだ、という意味にもとれます。キリスト教初期のペテロやパウロなどの使途たち、信者などは、みな迫害されました。イエス・キリストの言葉は、それを予言するような内容であり、もっと言えば将来苦労するであろう使徒たちを励ます言葉を、予め準備しておいたのかもしれません。
現在家庭連合の信者は、マスコミや政府から迫害されていますが、まさに地の塩であり世の光なのかもしれません。それを否定する人々もいることでしょう。
その答えは、きっと歴史が示してくれるに違いないと思っています。