韓鶴子総裁 原罪について

家庭連合の教義について、韓鶴子総裁が内容を変更しているのではないか、という教会内外の意見があるようです。本来教義については、ここでお話するようなものではないと思っておりますが、これを家庭連合に対する批判の材料とする方もいるようですので、私の個人的な考え方を申し述べます。

指摘されるのは、真の父母の無原罪について、韓鶴子総裁が文鮮明総裁を否定しているかのような説明をしている、というような話です。しかしこれは間違いです。

家庭連合の教義の中心は、「人類の罪を救うのは、真の父母である」というものです。原理講論には、「堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。」(第7章第4節(1)「重生論」)と書いてあります。
ここで重要なのは、「真の父母」は二人で一つなのであって、どちらかの価値が高くてどちらかが低い、というようなものではありません。文鮮明総裁一人では「真の父母」になれないし、韓鶴子総裁一人でもできません。

そもそも、「罪」を定義するのは、とても難しい課題だと思います。キリスト教でも贖罪論というのがああって、神学で学ぶものだと思いますが、私はそれに対する知識がありません。もちろん原理講論にも罪の定義は書かれているのですが、とてもわかりにくいです。ちなみに、こう書かれています。
「罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになることをいう。」(第2章第3節(5)罪)
正直、今でもきちんと理解できているかどうか、自信はありません。

ましてや、「罪」の元となる「原罪」については、人間の知恵で議論する対象ではないように思います。
統一原理の「原罪」について、それがどのようにして、人類の罪を救う「真の父母」にもたらされたのか、これはもう「そういうものだ」と受け止める他ありません。

だから私は、韓鶴子総裁が現在、「真の父母」として語られる内容を、そのまま受け入れています。ポイントは、繰り返しになりますが、「人類の罪を救うのは、真の父母である」という点です。「真の父母」は、家庭連合のブランドなのです。
これについて、「思考停止」ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、これは私の宗教的な信仰姿勢の問題であって、外部から批判される性質のものではないと思っております。

動画はこちら
https://youtu.be/MK_x0qQ2_V4