朴普煕先生との思い出

朴普煕といえば、文鮮明先生の特別補佐官として活躍された方です。1970年代にアメリカで文鮮明先生が行った講演では、常に通訳を務めていました。

特にフレイザー委員会が、統一教会はKCIAが作った組織で対米工作をしているという、いわゆるコリアゲート事件をでっちあげて、朴普煕先生がKCIAの工作員の疑惑をかけられて1978年に証人喚問をされた時の証言は、とても立派でした。

朴普煕先生は、文鮮明先生がこれまで共産主義からアメリカを守り、「アメリカよ、神に帰れ!」と訴えてきたことについて、はっきりと証言しました。そして「自分は文鮮明先生の弟子であり、これからもそうです」と正々堂々とお話をされたことは、本当に印象に残っています。私は、統一原理に出会った頃、このビデオを見て、「ああ、こういう立派な方がいるのであれば、ここには真実があるに違いない」と思って、統一原理を学び出したことを、今でも覚えています。その時の動画がYoutube にありますので、下記にリンク欄を貼っておきます。
https://youtu.be/BWobBGQJoHE

さて、なんで今日こんな話をするかというと、この動画を収録しているのは10月19日なんですが、私は16年前の丁度この日に、朴普煕先生との会食の場に参加したことがあるからなのです。その時の写真が、こちらになります。

私は当時、前職の会社のマレーシアの子会社の社長として仕事をしていました。ちなみに、その会社は家庭連合とは何の関係もない会社です。2008年10月に、マレーシアでUPF(Universal Peace Federation)の大きな大会があって、海外からも多くの方々が参加されました。その中に朴普煕先生もおられて、日本の海外宣教師の方々と一緒に会食する機会があり、私も声をかけて頂いた、というわけです。
朴普煕先生は英語だけではなく日本語も堪能で、文鮮明先生の思い出とか、いろいろな話をして下さいました。とても温和で、優しく語りかけて下さり、とても感動したことを覚えています。

2012年9月12日に、文鮮明総裁の聖和式、つまり日本式に言えば告別式ですが、そこで弔辞を語られたのも、朴普煕先生でした。私もその場に参加した多くの信者の一人でしたが、その時に朴普煕先生が、「お父様、もう一度お会いしたいです」と話されたのは、とても印象に残っています。師弟関係を超えて、本当の親子のような、そういう心情関係を築かれていたのだなと、とても感動しました。

私も、文鮮明先生の、変わらぬ弟子でありたいと、そう思います。

動画はこちら
https://youtu.be/Pgopoot-cy8