神の存在は絶対的でも、宗教は絶対的ではない
私は家庭連合の信者であり、神の存在は絶対的だと考えています。しかし、家庭連合の教えが唯一絶対であり、他の宗教は間違っている、とは考えていません。
神が存在するとして、神から見れば、ご自身は間違いなく存在するのに、人間は自分なりの見方で神について説明したり、神はいないと言ったりしているわけです。神からすれば、「自分はここにいる!」と言いたいに違いありませんが、人間の立場で言えば、自分が感じたり理解した範囲でしか、神について説明することはできません。
これを宗教についていえば、ある宗教は神をこのように説明し、ある宗教は神について違う説明をしますが、実は同じ神について違う説明をしているわけです。
よく言われるのが、象と盲人の譬えです。ある盲人が象の足を触って、「象は太い」と言い、別の盲人は象の腹を触って、「いやいや象は広い」と言い、別の盲人は、鼻を触って、「象は長細い」と言いました。それぞれ盲人の答えは部分的には正しいのですが、象の全体を把握したものは一人もいないわけです。
だから、ある宗教が絶対に正しいとか、他の宗教が絶対に間違っている、と言うのは、よくないことだと思います。ある宗教を否定するということは、その宗教を通してしかわからない神の姿を、見えなくさせてしまうことになるからです。
宗教はお互いに尊重し、学びあうことが必要なのではないか、と思います。それが民主主義の基本的な考えであって、宗教に限ったことではありません。お互いの考え方を尊重するところから、より広い視点で物事を把握し理解することができると思います。
従って、ある宗教を否定して、その言論を封じてはいけません。ましてや、暴力で宗教をやめさせたり、改宗させたりすることは、やってはいけないことなのです。いろいろな宗教の考え方を提示し、そこから自分が腹落ちするものを選んで信仰するのが、信教の自由の根本的な考え方だと思います。そうすることで、豊かな人生を送ることができるし、人々がお互いの生き方を尊重できるような社会になるはずだと思います。
日本の社会が、家庭連合を名指しして否定し、政治家は関係を断つなどと言っています。また、拉致監禁による強制棄教の問題も、日本社会は無視しようとしています。
それは日本が民主主義と逆の方向に向かっている危険な兆候だと思います。
動画はこちら
https://youtu.be/EMLqSJQ6rDo
