信仰を続けるということ

先日、柔道の稽古に行ってきました。この年になっても柔道の稽古は続けていて、週に一回は都内の体育館で、汗を流すのが習慣になっています。私は高校時代、インターハイはおろか県大会でも2回戦で敗退するし、大学、社会人と、ほとんど大会に出たこともなく実績も何もない、ただ続けているというだけの柔道家です。しかし、柔道の稽古をしている時だけは、仕事も何も忘れて、ただ楽しいのです。

信仰を続けるということも、それと同じことかもしれません。家庭連合の中では、私はずっと一信者でしかなく、説教などしたこともありません。なんの実績もなく、取り柄と言えば、40年間信者であり続けていること位です。

もちろん、家庭連合をやめた方も多くおられるわけで、その方々を非難する気は毛頭ありません。やめた方は、いろいろな考えや事情があって、そうされたわけですから、私はその意志を尊重します。

そもそも私の場合、信者であると公言していろいろ活動してはいますが、それは国家やマスコミがよってたかって家庭連合を潰そうとしていること自体に強烈な反発を感じるからであって、あまり信仰的な動機とも言えないかもしれません。日々祈祷して、精誠を尽くしておられる信者の方が、よっぽど立派だと思います。

そういう意味で、私は対して信仰深い信者とは言えないかもしれず、家庭連合にいるだけの者ですが、統一原理は正しいと思うし、文鮮明・韓鶴子総裁を敬愛する者でありますから、なんとか続けていきたいと考えています。

動画はこちら
https://youtu.be/fZgqDXJlX1Q