日本版収容所列島
共産主義と宗教問題研究会が編纂した「日本版収容所列島 共産党の宗教迫害」の復刻版を読みました。この本は、1984年に発刊されたものを、今年40年ぶりに復刻されたものです。
この本のタイトルである「収容所列島」の名前は、1970年代、統一教会の信者が、親や親戚により精神病院に強制入院させられ、信仰を捨てることを強要されたことからとられたと思います。
登場人物は、原理被害者父母の会(会長 本間テル子=当時)、脱会屋の後藤富五郎、反対牧師の和賀真也、村上密、浅見定雄教授などです。
精神病棟は、鍵がかけられ、場合によっては身体を拘束され、全く自由はありません。精神安定剤と称して薬物を投与され、被害者はその後、後遺症に苦しんだと書いてあります。それはまるで、ソ連や中国の思想改造収容所のようであり、恐ろしい人権侵害が行われたのです。
この本には被害者の証言がいくつか収録されていますが、例えばQ子さんの証言の一部を読んでみます。
「私は薬のせいで、一週間昏睡状態が続きました。時折ふらふらしながら食事とトイレに行きました。意識がはっきりしていたのは3日目の夜、家に電話を掛け両親の口からはっきり説明してもらうと言って、看護師の反対を振り切って看護室で電話の受話器を取った時と、5日目の午前中に腕に点滴をされ目が覚めたときだけでした。あとはぼんやりとして何も分からない中で、必死で日数を数え、これからどうするかだけを、夢うつつの状態で考えていました。この間食後と夜8時30分に薬を飲まされました。そんな状況ですから、食事もろくにのどを通らず、ずいぶん痩せました。
4日目の夜、私は山口の教会にいる人の夢を見ました。最初に責任者、次に霊の親、最後に献身的に教会の仕事をしていたお姉さんが現れて、「忍耐」と一言だけ言われるのです。今思い出しても、長い病院生活の中で必要とされたのは、まさに忍耐でした。この一言がなかったら、私はもっと絶望的な苦しい思いをしたに違いありません」
なんと生々しい証言ではないでしょうか。
さて、1980年代に入ると、精神病院が使われることは少なくなったようです。それは、まともな病院はこのような虐待ともいえる処置はしないから、拉致監禁に使える精神病院が限られること、拉致監禁の件数が増えて精神病院ではカバーできなくなったこと、場所がわかりやすいから人身保護請求されやすいこと、などがあげられると思います。
その代わり1980年代以降急増したのが、マンションなどの一室を借り上げて、鉄格子など脱出できないように改造を施した、拉致監禁部屋です。これなら場所がわかりにくいから人身保護請求されにくいし、数を増やすことも簡単にできます。4300名もの信者が拉致監禁されたのは、あちこちに作られた、このような拉致監禁部屋だと思います。
精神病院にしろ、拉致監禁部屋にしろ、背後には後藤富五郎や宮村峻のようなプロの脱会屋、村上密や高澤守のようなキリスト牧師、そして全国弁連の弁護士たちがいて、親を唆して実行するという構図には変わりありません。このような人権侵害は、決してゆるされるべきではありません。