拉致監禁問題 被害者ではない者が戦うべき 中川TVチャンネルより
中川TVチャンネルでは、拉致監禁問題について毎日発信して頂いていて、本当にありがたいと思います。
特に、昨日の動画は非常に深い内容だと思います。
https://youtu.be/Bu6uRxsYaz8
拉致監禁被害者の方と話をしていると、拉致した実行犯あるいは親に対しても、それを「恩讐を愛する」という立場で許していきたいというのですが、それに対してある違和感があったということです。中川牧師は、キリスト者として、同じキリスト教徒が拉致監禁を行っているということから、この動画発信をされていますが、「拉致監禁は犯罪行為であって、絶対に許してはならない」という立場です。そして、家庭連合の人々にも、この問題をよく知らない、わからない、という人も少なくないと言っていて、そこにも違和感があると言うのです。
しかし、なぜ拉致監禁の被害者の方が、「恩讐を愛する」ということを言うのか、中川牧師はわかったとおっしゃいます。拉致監禁被害者の方々は、これまで精一杯戦ってきて、もうエネルギーが無いと言うのです。自分が最も愛し信頼していた親から拉致監禁されるわけです。愛する親を憎むこともできないから、「恩讐を愛する」ということで内的に昇華しなければ、親子関係を取り戻すことができないし、生きていくことができない、それが被害者の心情だということです。
だから、拉致監禁問題については、被害者でない人々が戦わなければならない、と中川牧師は語っています。中川牧師は、ご自身がキリスト者の立場で声を上げるし、ジャパネット中田チャンネルの中田さんにも感謝しておられました。
しかし、最も声を上げるべきは、私のような、拉致監禁の被害を受けていない信者だと思います。私たちの仲間が拉致監禁され、傷つき、ある方々は脱会を余儀なくされ、ある方々は戻ってこられました。仲間がそのような状況であることを、見棄てるようなことは、あってはなりません。私たちこそが、「拉致監禁は犯罪である」と世間に訴え続けるべきなのです。中川牧師や、その他の方々は、応援することはできますが、私たち自身が戦わなければ、応援のしようもないのではないかと思います。
「恩讐を愛する」とか、「敵を愛する」ということは、確かに家庭連合でも言っているし、新約聖書にも出てくる聖句です。しかし、これが戦場であれば、目の前の敵が弾を打ってくる時に、「敵を愛そう」なんて言っていたら、味方は全滅してしまいます。家族を守るため、戦う時は、戦わなければなりません。もちろんそれは、この民主主義のルールに則って戦うわけですが、「敵を許す」と言う言葉が、戦いから逃げる口実になってしまってはいけません。
家庭連合派、まさにバッシングの嵐を受けて、解散命令請求まで追い込まれ、信者は戦いのさなかにいます。拉致監禁もピークを迎えて現在は少なくなっているとは言え、現在でも発生しており、決して過去の問題ではありません。反対派がやろうとしているのは、徹底して拉致監禁問題を表に出さずに、解散命令に追い込んで隠してしまおうとしています。「臭いものには蓋をする」ということで、逃げ切ろうとしているのです。
そういう戦いの真っただ中で、拉致監禁問題について反対するというのは、もはや家庭連合の組織防衛などというレベルを越えた、日本の民主主義の在り方の根幹に関わる問題だと、私は思います。