拉致監禁による強制棄教 家庭連合自体が拉致監禁されている

家庭連合の信者に対する拉致監禁による強制棄教は、家庭連合が置かれてる状況そのものであると言えます。ある意味、家庭連合自体が、拉致監禁されていると言えるのです。

拉致監禁された信者は、誰によって拉致監禁されるかと言えば、それは家族です。自分に最も近い存在であるはずの親兄弟が、身体を拘束し、密室に閉じ込めて、そこに反対牧師がやってくるというのが、拉致監禁の常套手段です。自分を守ってくれるはずの親兄弟にそのようなことをされるだけでも衝撃なのに、反対牧師が来て、こんこんと説得をするわけですね。いかに統一原理が間違っているか、いかに統一教会が反社会的な組織であるか、そんな内容を繰り返し話されるわけです。それに対して、どれだけ反論しても、その反論は一切聞かれることはありません。なぜなら、それは話し合いとは名ばかりで、実際は脱会させるという明確な目的を持った一方的な説得の場だからです。いかにこの信者の信仰を捨てさせるか、それがこの拉致監禁の目的なのですから、当然のことと言えます。信者はいつ終わるかもわからない精神的な極限状態に追い込まれ、誰にも相談することができないまま、ある者は信仰を棄て、ある者は教会に戻りますが、心に大きな傷を背負います。

現在家庭連合が置かれている状況は、これに非常に似ています。家庭連合という宗教法人も、その信者も、日本という国に存在しています。国は、権利義務を持った法人や個人を守る義務があります。それに対して、信者の声は一切取り上げないまま、宗教法人に対して解散命令請求が行われました。そこで報道される内容は、いかに家庭連合が反社会的な団体であるか、信者がマインドコントロールされているか、という一方的な内容のみです。私たち信者の主張はマスコミにも行政にも一切取り上げられることはありません。なぜならば、そこには家庭連合を潰すという明確な目的があるからです。いかに家庭連合を解体するか、そこに日本の国全体が、全精力を注いでいるわけです。信者は、いつ終わるかもわからないバッシングに精神的な圧迫を受けながら、自らの信仰を周囲に話すこともできないまま、精神的に追い詰められていきます。

家庭連合の信者に対する拉致監禁問題は、2015年に後藤徹さんの裁判で勝訴して以来、減少してきていると言われます。また、かつて教会を襲撃して拉致監禁を実行するという事件までおきましたが、そのようなあからさまな行動はとりにくくなってきたようです。
しかし、拉致監禁問題は、決して過去のものではありません。日本の家庭連合そのものが、拉致監禁されているような状況であると考えれば、今まさに進行中の事件そのものであると言えるのです。

だから、私たち信者は、もっとこの拉致監禁問題に対して、正面から向き合うべきだと思います。それは決して、家庭連合という組織を守るために拉致監禁問題を宣伝に使うというようなものであってはなりません。私たち家庭連合の信者が、自らの信仰を見つめ直し、その動機は何なのか、自らの内的な考察が必要だと思います。そしてコンプライアンス宣言に立ち返り、行動の面でも変えるべき点も変えていく必要もあるでしょう。

その上で、嵐が過ぎ去るのをじっと待つのではなく、おかしいことはおかしいと、勇気をもって発信していく必要があると思います。家庭連合そのものが拉致監禁状態にあるなかで、自らの信仰を告白して声をあげることは、勇気がいることです。それは決して国やマスコミとの戦いではなく、自分自身との戦いでもあります。そのような観点で、拉致監禁と戦ってきた信者の方々の体験を、自分自身の問題としてとらえることが、大切なことではないかと思う次第です。

動画はこちら
https://youtu.be/_8LEu8VONqM