反ユダヤ主義について
今日は反ユダヤ主義というものについて考えてみたいと思います。ユダヤ人を排斥する思想です。
私もこの問題については、最近まであまり認識がありませんでした。日本全般が、あまりイスラエルやユダヤ人という問題には馴染みがないのではないか、と思います。
ただ、昨年のイスラエルに対するハマスのテロ攻撃以降、いろいろとイスラエルに関する情報を集める中で、欧米では反ユダヤ主義というものがあり、それが歴史上大きな課題であったということがだんだんわかってきました。
ユダヤ人といえば、現在のイスラエルとパレスチナの対立というように、ユダヤ教とイスラム教の対立と捉えられがちですが、反ユダヤ主義はむしろキリスト教社会の中にあったものです。これは、新約聖書に書かれているように、イエス・キリストを十字架につけたのはユダヤの民衆だということで、キリスト教徒はユダヤ人を快く思っていない、ということです。マタイ福音書第27章24節に、こう書いてあります。「ピラトは手のつけようがなく却って暴動になりそうなのを見て、水を取り群衆の前で手を洗って言った。この人の血について私には責任がない。お前たちが自分で始末をするがよい。すると民衆全体が答えて言った。その血の責任は我々と我々の子孫の上にかかってもよい。」
実際に、イエス・キリストが十字架で亡くなった後40年位で、実際にユダヤという国は滅亡してしまいました。それ以降、ユダヤ人は2000年近くも国が無い民となって、世界中をさまようことになってしまったわけです。
そして至る所でユダヤ人は迫害されてきました。カトリック教もユダヤ人は受け入れないし、プロテスタントでもマルチン・ルターは反ユダヤ主義でした。ルソーなどの思想家、カントなどの哲学者、そして共産主義の創始者であるカール・マルクスも自らがユダヤ系であるという出自を嫌い、反ユダヤ主義だったといいます。そして最も有名な反ユダヤ主義者がヒトラーで、ナチス・ドイツが600万人ものユダヤ人を虐殺したことは、歴史上の汚点として記憶されています。
ここからは、宗教的な観点となりますが、ユダヤ民族は、神から選ばれた選民です。しかし神から遣わされたイエス・キリストを十字架につけたことで、その意志に逆らってしまいました。しかし、神から祝された民ではなくなったかと言えば、そんなことはないと思います。なぜなら、ユダヤ人には優秀な人材が多く輩出されており、国を失ってから約2000年経ってから、国を取り戻すことができたからです。ユダヤ系の著名人も、科学者のアインスタインや映画監督のスピルバーグ氏、金融界のゴールドマン・サックスやロスチャイルドなど、数え切れません。
この点、家庭連合の考え方として、キリスト教徒は、神から選ばれた選民です。だから、文鮮明総裁は、かつて統一教会を、「世界基督教統一神霊協会」と名付けました。キリスト教こそ神の選民だからです。その経典である新約聖書の言葉を、家庭連合の経典である原理講論は数多く引用しています。
同様に、ユダヤ教徒も、神から選ばれた選民です。その経典である旧約聖書の言葉を、新約聖書では数多く引用しているし、原理講論も然りです。
従って、家庭連合においても、ユダヤ人は神の選民であることに変わりはなく、大切にするべきであると考えるべきだと思います。
実際、文鮮明総裁は、1976年に、ユダヤ教、キリスト教、統一教は三兄弟であり、共に協力しながら神の国建設のために努力しなければならない、という声明を出しています。
日本の報道は、イスラエルの行動に対して非常に批判的な論調となっています。その背景には、国際的な反ユダヤ主義の影響があるということを、認識しておくべきだと思います。