マインド・コントロール論は循環論法であり空論である
先日、中川晴久牧師が、マインドコントロール論について、動画配信されていました。アンチ統一教会の方と話したら、「統一教会の信者はマインドコントロールされている」と本気で信じているのでびっくりした、という内容でした。
中川牧師は、もし誰かが隣の人に「あなたはマインドコントロールされている」などと言ったら、それは失礼ではないか、という表現をされていました。それはもっともな話だと思います。しかし、それ以前に、マインドコントロール論をまじめに信じている人がいるのであれば、それは驚愕の事実だと思いました。
反対牧師が、家庭連合の信者を拉致監禁する根拠は、「信者はマインドコントロールされているから、それを断つためには、一旦家庭連合の環境から切り離す必要がある」というものです。私はそれを、単なる便法に過ぎないと思っていました。しかし、本当に「マインドコントロール論」を信じているのであれば、それは全く根拠のないことを妄信していると言わざるを得ず、もはや疑似宗教であると思います。
マインド・コントロールについて、全国弁連の紀藤正樹弁護士が、「マインド・コントロール」という本を書いています。一方で、UPFの前事務総長でもある魚谷俊輔氏が、間違いだらけの「マインド・コントロール論」という本で、反論をしています。
紀藤正樹弁護士は「マインド・コントロール」でマインド・コントロールの定義として、「目的、方法、程度、結果などを見て、それらが「法規範」や「社会規範」から大きく逸脱している場合は、これを「マインド・コントロール」として判断して問題視すべきである」(P47)と書いています。
魚谷氏は、「そうなると、結論的に「マインド・コントロール」は科学的に定義される概念ではなく、政治的概念であるということになる。それは社会通念や社会常識はその国の政治状況によって大きく変わるからである」(P52)と指摘します。
要するに、マインド・コントロールは、科学的な理論ではなく、結果を見て後付けで「あれはマインド・コントロールだ」と理由付けするために使われる言葉であることを、紀藤氏自ら認めている、というわけです。
結局、「統一教会の信者はマインド・コントロールされている」というのは、循環論法であり、根拠のない言説だということになります。
次の①と②は、原因と結果が入れ替わっているのがわかりますでしょうか。
①統一教会の信者はマインド・コントロールされているから反社会的である
②統一教会は反社会的だから、信者がマインド・コントロールされている
循環論法というものが、論理破綻しているのは、説明するまでもないと思います。Excelを使う人なら、「循環計算」がエラーになることはご存じと思います。相互に参照するデータは、まともな計算結果を算出しません。
問題なのは、このような空論をもとに、信者をマインド・コントロールから解放するためと称して、信者に対する拉致監禁が行われていることです。
紀藤正樹弁護士は、マインド・コントロールを解くためには、教会から引き離すことが必要だと書いています。表向きは、無理な引き離しはするべきではないと言いながら、実際に棄教に成功したのであれば、それは「うまくいった」(P165)と表現しています。しかし、結果を見て、それを認めるということは、拉致監禁自体を肯定していると言わざるを得ません。
拉致監禁は、それ自体が犯罪です。マインド・コントロール論を根拠に、結果によって正当化されるべきではありません。