日本の国運40年説

日本の国運は、40年という周期で変動している、という説があるようです。日本は、明治維新後40年を節目に、国運が上がったり下がったりしている、というのです。慶応大学名誉教授の島田晴雄氏も、そのような記事を書いています。
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最初の40年は、今から160年前の、明治維新ということになります。1986年、慶応2年に、薩長同盟ができました。ここから大きく歴史が動き出して、薩摩と長州が中心となった官軍が江戸幕府を倒し、明治政府が始まりました。そこから日本は富国強兵につとめ、国力を増強させて、日清戦争で大国の清を倒し、ついに1905年に日本海会戦で海軍がロシアのバルチック艦隊を倒し、ロシアに勝利するのです。このことを書いた司馬遼太郎の小説が「坂の上の雲」ですが、このタイトルが、司馬遼太郎の歴史観を表していると思います。日本人は坂の上にある雲を目指して邁進したけれども、坂を上りつめてもその雲に届くことはなく、その先は下り坂が続いていた、というニュアンスがあります。

実際に、1905年以降、日本の40年の歴史は暗い影を落とします。朝鮮半島に進出し、中国東北部、いわゆる満州にも満州国を立てますが、その権益を守ろうと必死になって、アメリカ・イギリスを相手に戦い、結局1945年に無条件降伏することになります。勝てると思った戦争でも緒戦は買っていましたが、その後彼我の国力の差が露呈し、本土を爆撃され、最後は原子爆弾まで落とされて、日本は焼け野原になってしまいました。まさに、下り坂を下りきったという感があります。

しかし、日本はそこから再び上昇に転じます。政治体制を大きく変えながら、また駆け上がっていくわけです。1945年から40年後の1985年まで、戦後奇跡的な経済復興を遂げました。高度成長を遂げて、東京オリンピックで復活を世界に見せつけ、GDPも世界2位まで拡大したのです。1985年に発刊された、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が、それを象徴しています。戦力では負けたけれど、大国中国・ソ連を抑えて、経済力で再び世界の舞台に躍り出ました。まさに頂点まで上り詰めたと言えます。

ところが、1985年のプラザ合意で、日本の経済成長を支えてきた円安が、諸外国の圧力で円高に転じると、日本は再び下り坂に入ります。円高によって輸出が抑えられ、さらにバブルがはじけて日本は長い景気低迷期に入ります。失われた20年とか30年とか言われますが、経済成長は低迷して、GDPも中国に追い抜かれました。少子高齢化が進んで、国家の負債も拡大の一途をたどっています。国民が明日に対して希望を持つことができない現状にあり、まさに下り坂にあると言えます。

さて、1985年から40年後といえば、2025年です。まさに来年のことなんです。今、非常に閉塞感があるこの日本の国運が、また上昇に転じるのではないかと、見ることができます。
もしこの仮説が正しいとして、下り坂の40年の最後の3年間は、大変な期間だということになります。あろうことか、国政史上最も長い期間日本の首相であった安倍晋三元首相が暗殺され、保守政党であるはずの与党自民党のたがが外れてリベラルに方向転換しました。80年前の1945年の時も、その4年前に日本は日米の戦争に突入しました。その後の4年間は、今更ここで説明する必要もないほど大変でしたが、日本は見事に立ち直りました。
私たち日本人は希望をもって、大転換に向けて準備していけばよいのではないか、と思います。

動画はこちら
https://youtu.be/ebyxPTOWumg