暴力革命の方針を堅持する日本共産党
日本共産党は、戦争反対を主張し、平和主義をうたっています。
しかし、戦後間もない混乱期には、暴力による革命を掲げて、様々な暴力的破壊活動を繰り広げました。
そしてその暴力革命の方針は、現在でも堅持されています。
このことは、警察庁のHPの「警備警察50年」という記事にはっきりと書かれています。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
日本共産党の暴力革命の方針は、1951年に採択された綱領(51年綱領)に明記されています。上記の記事には、このように書かれています。
「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである。」
「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない。」
しかし、このような暴力革命路線丸出しでは、世論が受け入れません。日本共産党は日本各地で暴力的な事件を起こした結果、国会の議席を全て失いました。
そこで、日本共産党は51年綱領を変更することにし、昭和36年に新綱領が採択されました。
そこでは、暴力革命は堅持しつつも、革命が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によるとする、いわゆる「敵の出方」論が採用されました。
そして、革命に至る過程を情勢によって「革命的情勢の時期」と「革命を準備する時期」という二つの時期に分け、現在は革命の準備時期だという理由で、暴力路線を隠すようになったのです。現在の綱領に、「まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進む」と書いているのは、そういうことです。
https://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo
私は大学時代、原理研究会に所属し、新左翼系の学生の暴力にさらされていました。
私は柔道経験者で体力には自信があったから、あまり手は出されませんでしたが、弱いメンバーは目をつけられて、殴る蹴るの暴行を受けていました。
当時の自治会は、日本共産党の青年組織である民青が牛耳っていました。殴る蹴るには参加していませんでしたが、代議員大会などからの原理研究会メンバーの強制排除には手を出していました。そういう経験から、私は左翼の本質は暴力であるということを、身をもって体験しています。
日本共産党の「戦争反対」というキャンペーンは、裏表があるということは、理解しておくべきだと思います。
警察が指摘する通り、日本共産党は、暴力革命路線を決して放棄していません。
むしろ時が来るまで準備しているに過ぎず、時が来たら再び暴力革命路線に戻る可能性が高いのです。