杉原千畝 命のビザ

杉原千畝は、1939年にリトアニアのカウナスという都市で日本総領事代理に就任した外交官で、在任中に約2000名のユダヤ人に、日本国内通過ビザを発行したことで知られています。

当時はナチスドイツがユダヤ人を迫害し、ヨーロッパに住むことができなくなったユダヤ人は、ソ連経由で日本に行き、そこからアメリカに逃れるという亡命ルートを希望しました。そのために必要な日本の通過ビザを、杉原千畝は本国から牽制されていたにも関わらず、2139通も発行し、それで救われた命が6000名にもなると言われています。

当時、日本はナチスドイツに急接近していましたから、ユダヤ人にビザを発行する行為は、本国からも牽制されていました。それでも杉原千畝は、ビザを発行し続けました。ビザを求めて総領事館に押しかける人々を見殺しにすることはできなかったのです。

戦後杉原千畝は、このことを公にしていませんでしたが、1985年、イスラエルは彼に対して多くのユダヤ人を救ったことに感謝をこめて、イスラエル最高の勲章であるヤド・ヴァシェム賞を贈りました。日本でも、2001年にNHK特集で取り上げられて話題となり、2017年に母校である愛知県瑞陵高校に記念碑が建てられています。

この杉原千畝のビザで生き延びることができたユダヤ人を、北出明氏が調査して追跡調査した結果をまとめたのが、「命のビザ、杉原リストは語る」です。先月の2024年7月に、交通新聞社新書から発行されました。2139名の杉原氏の全リストと、それに対する調査結果が掲載されています。資料性が高く、貴重な本だと思います。

戦前の厳しい国際情勢の中で、人の命を救うために、リスクを冒して行動する勇気は、歴史が忘れないのだと思います。時代に流されず、信念を貫いた杉原千畝氏は、日本が誇るべき人物だと思います。

動画はこちら
https://youtu.be/4Si4mmTmXvI