彼は早稲田で死んだ(2)

前日のブログの続きです。

本書には、川口大三郎氏のリンチ殺人の実際の当事者S氏や、当時早稲田大学文学部の革マル系自治会委員長T氏(故人)のエピソードが登場します。

T氏は川口さんの学生葬に革マル派から唯一参列し、川口さんのお母さんに謝罪し、拘置所で自己批判文を書き、その後誰にも知られないようひっそりと一生を過ごしたということです。

一人一人は人間的な心を持ち、平時は良心の呵責という抑制力が働きます。それが、なぜ暴力の場になると、歯止めがきかなくなるのでしょう。人を殺してしまった後に、いくら後悔しても取り返しがつかないことくらい、わかるはずなのに、です。

一人一人の学生は、おそらくどこにでもいる普通の若者だったに違いありません。おそらく一人であったら、リンチ殺人などというとんでもないことは、しなかったではないかと思います。

しかし集団で暴行すると、その集団は時として悪魔のようになります。それは誰かのせいにしやすいからでしょうか。あるいは、お互いに牽制しあって、やらないと自分がやられる、という心理状態になるからでしょうか。

本書を読んでも、その答えはわかりません。想像で書くことは簡単ですが、根拠はありません。おそらくは、「良心の呵責」という安全弁をはずしてしまう、外からの何らかの力が働くからでしょう。私はそれは、左翼思想の暴力革命による、暴力正当化理論だと思っていますが、そんなに単純なものでもないように思います。なぜなら、「世の中のいじめ」は、大概同じような構図になっているからです。

このようなことを、他人事ではなく自分事として考えることも、必要なのではないかと思います。