彼は早稲田で死んだ
1972年11月、当時早稲田大学文学部2年生だった川口大三郎さんが、左翼組織革マル派の暴行により、死亡しました。本書は当時同学部1年生で、革マル派による自治会に反対して新自治会を立ち上げた樋田毅氏が、当時の関係者を取材して書き上げたドキュメンタリーです。
私はある方から紹介されて、この本を読みました。
今から50年前、70年安保闘争の余波も残る時期に、全国的に左翼活動家が政治セクトを作り、大学の自治会を支配していました。早稲田大学では、革マル派が角材や鉄パイプを手に暴力をふるい、挙げ句の果てに川口大三郎さんを撲殺してしまったのです。理由は、川口さんが革マル派と対立する中核派のスパイだというもので、全く事実と異なるものでした。いわゆる「内ゲバ」です。
当時早稲田大学当局は革マル系の自治会を公認していて、その後も20年以上公認し続けました。理由はどうあれ、暴力による支配は許されません。それを容認し続けた大学当局も同罪です。
私が東大に入った1982年は、やはり学内暴力が横行していました。暴力の向け先は私が入会した原理研究会でした。自治会は日本共産党の学生組織の民青(民主青年同盟)でした。彼らは「暴力反対」を掲げてはいましたが、新左翼会の学生が作る反原理共闘の原理研究会メンバーに対する暴力は黙認し、大学当局もこれを放置していました。さすがに川口大三郎さんのリンチ殺人事件から10年が経過し、角材や鉄パイプで殴られることはありませんでしたが、殴る蹴るは日常茶飯事でした。私は当時柔道二段で体力には自信があったし、護身術も修練していたから、あまり手を出されませんでしたが、体力のないメンバーは狙い撃ちされました。原理研究会は非暴力を貫きましたが、学内に出ていけないメンバーもいました。
左翼の特徴は、「良い暴力」は肯定される、というものです。暴力は今の言葉に置き換えれば「テロリズム」ですが、革命のためのテロリズムは肯定される、ということになります。
安倍元首相を暗殺した山上容疑者のテロリズムを追求せず、家庭連合潰しに奔走する反家庭連合陣営は、全く同じ理屈の上に立っていると思います。
50年前の革マルによるリンチ殺人事件は、現在にも共通する課題を問いかけているように思います。
決して過去のこととして、忘れ去られてはなりません。