神を知ると言うこと

本日の、ドラゴン牧師、岩本龍弘氏の話は、非常に勉強になりました。

ドラゴン牧師が紹介して下さったトーランスの「キリストの仲保」を読んだことを動画にコメントしたところ、さらに深堀して解説して下さったものです。

「キリストの仲保」の背景として、神に対する従来の二元論的な神の理解について、自然神学論争というものがあり、トーランスがそれを統合的に理解することを提唱した、ということです。
私は、そもそも自然神学論争というものを、知りませんでした。カール・バルトとエミール・ブルンナーの間で論争があり、神は知性のみで把握可能か、啓示も必要なのか、ということのようです。

私は、神はあまりに大いなる存在なので、一人の人間が全て理解することは、ほぼ不可能だと思っています。人それぞれ、生まれた背景も社会環境も違うから、一面的にしか理解できません。だから、それぞれの感性に適した神の理解の方法があって、そのために多様な宗教が存在してあるのだと思っています。

私の場合は理屈っぽいので家庭連合の教えがぴったりしましたが、キリスト教が合う人、仏教が合う人、それぞれだと思います。
だから、他の宗教を否定するところに進歩はなく、むしろ学ぶべきと思います。そして、信教の自由の本質はそこにあると、私は思っています。
今回の、神を知るというテーマは、大きな学びがありました。神を知るために、いかに多くの努力が払われてきたのか、その一端を知ったように思います。