被害者ポジション

家庭連合に対する批判について、多くの被害者がいる、ということが言われています。
多くの献金をしたために、生活が困難になり、家庭連合に対して返還請求をしている方々に対しては、私は一信者として、寄り添うことができていないことについて、申し訳ないと思っています。

一方で、家庭連合の信者としてはどうなのかと言えば、現実問題として、一連の反統一教会キャンペーンにより、信仰生活面や社会生活面において、困難な状況にあります。
特に、家庭連合に身を委ねている、公職者の方々は、解散命令により解雇され、生活の基盤が奪われますから、大変な問題です。公職者はその家族を含めれば、数千人の規模になり、それが一気に生活困難者となるのです。解散命令請求の根拠とされた、200名などという規模ではありません。

それにも関わらず、家庭連合は、「私たちも被害者だ」という被害者ポジションは、とっていません。かつて田中会長が記者会見の場で、記者の質問に答える形で、被害の実態を報告したことはありますが、それ以降、家庭連合自身の被害については、ほとんど言及していません。

私は、どちらが被害を受けているか、という点で争っても、意味がないと思っています。争うべき点は、解散命令請求が、宗教界全体に及ぼす負の影響です。多くの宗教人は、静観しているのが現状ですが、この状況を問題視する方々は声を上げています。彼らは、別に家庭連合を擁護しようとは思っていません。この点は、私たち家庭連合の信者は、勘違いしてはいけないと思います。
家庭連合は、自ら望んでその立場に立っているわけではありませんが、宗教界を代表して、無宗教化に向かう日本社会に対して、警鐘を鳴らす使命があるのだと思います。

昨年、家庭連合は「私たちの声を聞いて下さい」という小冊子を発行し、私もそこに寄稿しました。
しかし、今行うべきは、理不尽な国家の宗教に対する介入に対して、抗議の声をあげることです。家庭連合の事情を訴えて被害者ポジションを取るのではなく、信教の自由を守るために、真実という武器を手に取り、戦うことだと思います。

先日のシンポジウムで中山弁護士が語ったように、リスクを取れる人はリスクをとり、できない人はリスクをとる人を応援して、宗教界の危機に対して、戦うべきと思います。
私は公職者ではなく自分の事業を持っていますので、リスクを取るべき立場にあると自覚しています。
信教の自由と人権の大切さを、訴え続けたいと思います。