宗教の価値
オウム真理教以来、宗教全般が社会にとってなくてもよいもの、という風潮ができており、家庭連合がそれと同一視されることで、無宗教化の流れが加速している、という中川牧師の指摘について、先日述べました。
宗教は、日本社会での位置付けとして、まるで趣味の一つのようにされているように思います。
確かに宗教は、個人の魂の救済を大切にしているし、多くの方々が宗教の道に入るのも、それが大きな動機だと思います。
だから、信教の自由は、一部の人々を保護するために、大切だということになります。ある意味、消極的な論点です。
しかし、宗教の社会に対する貢献、積極的な意味で宗教を評価することが、必要なのではないかと思います。
そうしないと、宗教はもともといらないもの、なくてもいいもの、という現在の風潮を変えることはできません。
では、宗教の社会に対する価値、バリューとは何なのでしょう。私は、次のように考えます。
①人間を人間たらしめるもの
動物と人間の違いは、霊性の有無だと思います。祈りや先祖を敬う考えは、人間にあって動物にはないものです。
弱肉強食は自然界の原則ですが、人間にそのまま当てはめてはなりません。
②倫理観を醸成する
社会が潤滑にまわるためには、ルールも必要ですが、人間一人一人が自ら守るべき倫理観が最も大切です。
「汝の隣びとを愛せよ」とか、「陰徳を積みなさい」など、表現は様々ですが、宗教的な価値観からくる倫理観は、非常に多いと思います。
③資本主義の基礎
資本主義は、資本家が投資し、出資額に応じて配当を受ける仕組みですが、ここには、キリスト教の倫理観が根底にあると、マックスウェーバーは論じました。会社の資産が個人の所有物から切り離され、出資者が公平に扱われるのは、神のもとでの平等という原則からもたらされたものと言えます。
④民主主義の基本
民主主義の原則は、少数意見の尊重と、ルールとしての多数決です。少数意見を尊重するべきだという発想は、少数派の保護という観点もあります。しかしそれ以上に、神の啓示は、選ばれた者(選民)にのみ与えられる、という考え方が根底にあると思います。
そうでないと、国全体が全体主義に陥ってしまい、指導者が誤った選択をするのを、誰も止められなくなってしまうからです。
こういった、宗教が社会に対して貢献している価値が、見直されるべきだと思います。