韓国 中学一年生用教科書「宗教」

この本は、韓国の世界基督教統一神霊協会(現家庭連合)が中学・高校生向けに発行して、ソウル特別市教育監から公認を受けた、「宗教」の中学一年生用の教科書の日本語訳です。1995年の発行です。「宗教」という科目が韓国の中学校の教程にあることも驚きですが、読んでみると、中学一年生がこんなことを理解できるのか、と思うような、本質的な内容です。

昨日の二世の会のシンポジウムの内容にも関係する部分がありますので、少し長いですが、引用します。(P22-24)

「【宗教の役割】

病気にかかった人は、病気を放置せず、病院に行って治療を受ける。これと等しく、宗教は病んだ人を治療する病院に比喩することができる。病院には外科や内科、小児科などがあるように、この世界には固有の使命を帯びた数多くの宗教がある。

それぞれの宗教は、人間の矛盾した状態をさまざまな言葉で表現する。ゾロアスター教やヒンズー教は、この社会が善の勢力と悪の勢力が戦う戦場だと教える。中国の宗教では人の本性が善だという性善説と、悪く利己的だという性悪説を主張する意見の対立を見せた。仏教は人の無知による執着と苦痛から逃れることを教える。また、キリスト教は人の祖先が堕落して原罪を犯すことにより根本的に誤ったという。

各宗教が教える内容はそれぞれ異なるが、しかし同時に共通点も備えている。全ての宗教は、人の罪を治癒する必要があることを強調する。このような宗教の共通的な教えは、全ての宗教が同じ目的を持つことを示している。世界の全ての宗教は、病んだ人間を一日も早く治療して、幸福な社会を作ろうと建てられたと見ることができる。

雨の滴が落ちる場所はそれぞれ違う。山に落ちるもの、田や畑に落ちるものもあるが、そのどこに落ちても雨つぶは泉や川の水として集まってくる。しかし、その泉や川の水が、全て同じ方向に流れるのではない。地形に従って東の方へ、西の方へ、または互いに違う方向へと流れる。しかし、互いに別に流れた泉や川の水も、結局は海に集まる。

これと同じように、宗教も発生した場所や主張する教理は互いに違うが、善の社会を指向する目標は同じである。だから、他の宗教をむやみにそしり、敵対視することは穏当でない行動である。自分のものだけが一番だと主張する排他的な考えも、いたって愚かなことである。私たちは他人の宗教の教えからも、自分の信じる宗教をもっと深く理解できる道があるということを知らなければならない。

全ての宗教の経典は、憎しみよりは寛容で愛する精神を奨励する。人のものを尊く思うとき、自分のものも大切にすることができる。宗教者たちの葛藤と宗教間の争いは、宗教の経典が教える精神と背反する。私たちは宗教と出会って人生の病気を治療し、互いに愛する方法を学ばなければならない。さらには、宗教を通して利己的な心を捨て、隣人のために生きる人になるべきだろう。」

それぞれの宗教には民族や地域に根差した役割があり、その目的は同じ方向を向いているという考え方は、とても的を得たものだと思います。