日本国憲法の誕生

憲法学者の古関彰一氏の著書で、日本国憲法成立に至る、日本政府、GHQ、米国政府、極東委員会(連合国から構成)の、様々な駆け引きが書かれています。文書名や日付が詳細に書いてあり、非常に資料性が高い本だと思いました。

一方で、著者のスタンスは、平和憲法維持であり、改憲論者の私とは意見が真逆です。私は、占領下で作られた憲法は、統治権を取り戻した今、見直されるべきだと考えています。しかし護憲派は、日本国憲法のベースはGHQ案であったとしても、政府が何度も見直しており日本独自のものであると主張します。

護憲派には、「武力を持たなければ、戦争は起きない」という確信あるように思います。私はそれは幻想であると思っています。私の知る限り、人間の歴史において、「武器を放棄することで戦争を回避できた」という事例は皆無だからです。

そして、こういう発想を持ち込んだのはGHQであり、その目的は日本の無力化であって、武力さえ奪えば天皇制を認めても害はない、と考えたようです。いわば日本人に、天皇制をとるか、武器をとるかと選択を迫ったようなもので、占領下で国家としての自由な意思決定ができない状態で、究極の選択を迫られたのです。

では、史実としてはどうだったのでしょうか。本書は細かく論証しています。

1946年2月8日、松本烝治国務大臣が政府案をGHQに提示しますが、それは明治憲法の焼き直しにすぎず、GHQは却下します。逆にマッカーサーは3つの要件(いわゆるマッカーサー3原則)を示してGHQ案を作成、2月13日に日本政府に提示しました。GHQ案はわずか1週間で作られたものですが、そこにはマッカーサー3原則、すなわち天皇制の維持、戦争の廃棄、貴族制の廃止が、しっかりと盛り込まれています。

マッカーサーは、一貫して天皇制の維持を主張しました。それは天皇制を利用することで、日本統治をスムーズに進めようという思惑もあったと思いますが、やはり昭和天皇に直接会って、その人格に共感したのだと思います。その引き換えに、日本人に武力の放棄を求めたのです。日本を無力化し、米国に依存せざるを得ないようにするため、憲法に制度として組み込んだわけです。

GHQ案に対して、様々な修正が日本政府によって行われて、3月6日に日本政府案ができました。その後国会で審議され、可決されて、11月3日に公布されました。著者はこれをもって、日本国憲法は日本が平和に対する高い理想を持って自ら望んで作ったと主張します。

しかしマッカーサー3原則を堅持する中で作成された日本国憲法は、やはり日本が自由意志に基づいて独自に作ったとは言えないと、私は思います。日本の在り姿について、国民的な議論によって、見直されるべきと私は思います。