脱会説得による悲劇(4) その時警察はどう動いたか① 「拉致監禁事件に終止符を打つため、両親、牧師を告訴」Iさん夫妻の証言

家庭連合の信者に対する事例紹介動画の第4回です。

Iさん夫妻は次のように語った。
「両親を訴えることに躊躇がなかったと言えば嘘になります。でも、自分と家族の身を守り、信仰を守り、統一教会(家庭連合)信者を襲う拉致監禁に終止符を打ち、日本に真の信教の自由を打ち立てるため、“肉を切らせて骨を断つ”というような信念から訴えを起こしました」

妻のRさんは二度、牧師に教唆された家族らの手によって、拉致監禁された。
1995年10月のときは、監禁の数日後、マンションのベランダから飛び降り、奇跡的に逃げることができた。

Rさんは脱出後、Tさんと入籍。再度の監禁を恐れ、両親や親族には夫の住所と自分の携帯電話の番号だけ教え、居場所を突き止められないよう警戒して過ごした。
だがRさんが教会に導いた妹は、 Rさんの最初の監禁時に拉致監禁され脱会。妹が脱会したことは、Rさんには知らされなかった。その妹の誕生日を祝う機会を狙って、Rさんの2度目の拉致監禁が実行されたのだった。
1997年1月10日午後10時半ごろ、川崎市内のファミリーレストラン、Rさんが妹の誕生日の祝いを終えて駐車場に出たところ、暗闇から複数の人に襲われ両手を羽交い絞めにされ、体を中に持ち上げられて前方に待機していたワンボックスカーに押し込まれた。
夫のTさんは、車を温めるため一足先に店を出て、車のエンジンをかけた。その時、妻の悲鳴を聞いた。見るとRさんが暴漢に襲われ、連れ去られようとしていた。即座にそばに駆け寄ろうとしたが、2人の男に力づくで落したおされた。
Tさんは両膝をアスファルトの地面に強く打ち付けられ、出血し、左手も血が滲んだ。その時、Iさん夫妻は「お兄さん、ごめんなさい」という妹の泣き声を聞いた。
そこで初めて、妹が監禁の手引きをしたことに気づいた。Rさんを乗せた車が走り去った後も、Tさんを押し倒した2人の男は立ち去らない。追跡ができないように見張っていたのだ。

Tさんはすぐに店員に頼み、警察を呼んだ。駆けつけた警察官は事情を聞いて、こう告げた。「もしこの事件が、見知らぬ人が連れ去ったのであれば緊急配備をしなければならないが、ご両親が一緒なら、奥さんの件に対しては何もできない。ただ、あなたは怪我をしているので、傷害事件として取り上げることはできる」
その後、警察は傷害事件の捜査で、妻の実家に行ったり、聞き込みをしたり、日本基督教団・戸塚教会に出向くなどした。しかし、妻の行方はつかめなかった。警察の捜査を交わしながら、Rさんの監禁場所は、3度も変えられたのだ。

この拉致監禁には、日本基督教団・戸塚教会の黒鳥栄副牧師、同教団・太田八幡教会の清水与志雄牧師(当時)が両親に教唆するなど、深く関与していた。Rさんは関東圏のマンションを、3箇所も転々と移動させられた。
いずれのマンションにも、ドアに元々付けられている錠や防犯チェーンの他に、部屋の中からも開けられないように南京錠とチェーンが取り付けられており、窓には半透明のビニールが貼られ鍵がないと開けられないクレセント錠で厳重に施錠されていた。
そこに、清水与志雄牧師がやってきた。清水牧師は、家庭連合(旧統一教会)に対する、ありとあらゆる誹謗中傷をした。Rさんは、侮蔑、脅迫と恐怖に晒されたのだ。
監禁前53キロあった体重は、瞬く間に43キロに減少。Rさんは「自分は発狂するのではないか」と思った。数ヶ月経って、このまま抵抗を続けても、精神的、肉体的に耐えることが困難だと判断したRさんは、真意を隠して「私が間違っていました」と語った。
偽装脱会である。
それから約2週間後に、Rさんはやっと解放された。

偽装脱会中、わかったことがある。それは、子供を拉致する家族の集いがあり、事前に拉致の場面を想定して、各自の役割を明確にしながら何度も何度も拉致のリハーサルを行っていたこと。Rさんの父親は、拉致の実行前に、地元の警察に事情を話して、警察から「穏便にお願いします」と言われていたこと。
そして、家庭連合の信仰を捨てた後は、今度は家庭連合に反対する活動を強いられることなどであった。

約五ヶ月間の監禁で、Rアールさんは心身ともに衰弱し、働くどころか普通の生活さえも困難となった。夢の中に親達が現れ、追いかけられる悪夢にうなされた。
外出中も、Rさんのそばを誰かが走り出すと、自分を拉致するために襲ってきたとの恐怖に駆られて、その場にしゃがみこんだ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療のために、通院しながら、体調の回復に努めた。

やがて、Iさん夫妻は自分と家族の身を守るために、暴行、脅迫、拉致、監禁を理由に、両親や牧師らを民事・刑事の両方で訴えた。
刑事のほうは、2003年3月に、「嫌疑不十分」で不起訴となった。民事裁判の方は、Iさん側が地裁・高裁のいずれも敗訴の結果で終わった。
Rさんの両親や牧師が行った行為は、「原告の意思に反する、違法な、拉致、監禁および統一教会からの脱会の強要とまでは認めることができない」(横浜地裁判決文)というのである。
Iさん夫妻は深く失望した。
実は、地裁において裁判官と裁判長が途中で人事になり、判決日も2回も延期されるなど、不可解な動きがあった。Iさん側の担当弁護士は、「ほかの宗教団体なら、完全に勝利している内容なのに…」と悔しがったと言う。
高裁はあっけない敗訴だった。
Iさん夫妻は判決文があまりにも粗末なものに思えた。「上告理由書」にそのことを指摘し、最高裁に上告した。最高裁は上告に対して一年間、沈黙をした。そして、最高裁が選択した結論は、異例の「和解勧告」だった。
原告側の弁護士によれば、最高裁での「和解」は極めて珍しく、自分の弁護士人生において、最高裁で和解となったのは、他に一例しか知らないとの事。
2006年3月、Iさん夫妻は、最高裁で親族らと和解した。和解項目の第一項には「当事者双方は相手方の信教の自由や価値観を尊重し、これに干渉しない」と記されていた。
Iさん側の主張を受け入れた和解項目だった。

夫のTさんは、裁判を振り返って次のように語った。
「裁判は喧嘩でも報復でもありません。相手の問答無用の“暴力行為”に訴えるやり方と違って、これは合法的な話し合いの場です。反対派はメディアをうまく利用し、“虚構の世論”を形成し、その中で家庭連合のイメージはモンスター化された状態になっています。その意味で、家庭連合側には、“虚構の世論”を一つ一つ論破していただきたい」
「反対派は、『信者は教団によってマインドコントロールされ、自分の頭で考えることができない思考停止状態になっている』と吹聴し、拉致監禁の正当性を主張します。
しかし事実は違います。逆に、暴力を用いた拉致監禁・強制棄教を受けることで、信者の人格が破壊され、そして家庭内に深刻な亀裂が入る痛ましいケースをよく聞きます。『親心』と偽って、一個人のみならず家庭を奈落の底に突き落とす事は、絶対に許されないことです」

Rさんは偽装脱会中、自分が目撃した牧師について次のように語った。
「牧師が家族を遠隔操作しているんです。同じマンションの同じ部屋を、今度は別の家族が使用するというように命じて、繰り返し使用させていました。誰を出して誰を入れるのかを、牧師が指示していたのです。私が偽装脱会していた時、牧師は監禁場所に私を連れて行きました。あんまり鍵が多くて、マンションのオートロックを解除する鍵を、鍵束から探し出せずにいました。牧師は、監禁された人が確実に脱会するように、その人の状態を家族に報告させ、その状態にあった効果的方法を家族に命じ、それをやらせるんです」
「私は監禁中、外に出ることも、夫に連絡をとることさえも一切できませんでした。これが法治国家なのかと、深い“虚無感”に襲われました。警察にもっときちんと対応して欲しいです。夫婦が助けてほしいと訴えても、『親子の話し合い』だからと素通りするのは、問題です。警察としての威信をかけ、きちんと対処してもらいたいです」
妻と家族らを守り続け、冷静に語っていたTさんだったが、全情熱を傾けた裁判で勝訴できなかったこと。1995年の一回目の妻の拉致監禁以来、長期の戦いで精神的に深刻なダメージを受け、Tさんはうつ病を患って働けなくなった。

現在(2009年)、市役所のケースワーカーの勧めで生活保護を受けている。妻のRさんによればTさんのうつ病は2005年7月に発症。休職をせざるを得なくなったという。
「親族および反対派と立ち向かい、激戦をかわしたのは横浜地裁でした。主人は、相手側の虚偽の主張や事件と無関係な書類に目を通しながら、怒ったり、落胆したりしていました。山口宏弁護士、紀藤正樹弁護士らの反対尋問も激しく、裁判が長期に及んだ上に、裁判官の交代、二度の判決言い渡し日の延期もあって、そのあげく、敗訴判決でしたから。監禁から地裁判決まで、本当に走り続けた状態でした」

夫のTさんは現在、精神障害二級の障害者となり、障害年金を受けている。生活費の不足分は生活保護費で賄っている。妻のRさんも、PTSDで苦しみ続け、拉致監禁被害は、今なおIさん一家を襲っている。