文化共産主義
共産主義は、1991年にソ連が崩壊した後、脅威は去ったと思われがちですが、国家共産主義が挫折しただけで、家庭崩壊を目指す文化共産主義は、見えにくい形で確実に社会に浸透しています。
共産主義という理論の中心的な理念は、「支配者との闘争」です。「自分が不幸なのは誰かのせいだ」、という基本的な考えがあります。その誰かとは自分を支配する支配者です。労働者から見れば資本家、国民から見れば為政者、人間から見れば神が支配者です。そのために、社会を「支配者」と「被支配者」という単純な二律構造にしたてあげます。これが「階級」であり、社会の発展は階級闘争を通して行われるのであり、それは歴史の必然である、ということになります。階級闘争で勝利する方法は革命しかなく、革命という目的のためには、手段は正当化されます。かくして共産主義においては暴力革命が目的化し、多くの人が殺されました。
共産主義の発想では、自分が幸せになるためには、まず「支配者」を設定し、これを倒さなければなりません。ソ連という共産主義国家が崩壊し、それを見た中国は共産党による一党独裁は維持しながら経済システムとしては資本主義的な手法を取り入れました。ここにおいて、「国家」をターゲットとした国家共産主義は成り立たないことが明白になりましたが、共産主義は形を変えて、「支配者」を設定します。そのターゲットが、「家庭」であり、そのような共産主義を「文化共産主義」といいます。
文化共産主義では、家庭は女性を男性が支配する支配構造と捉えます。従い、女性を家庭から解放しなければなりません。家庭を壊すには、性道徳を破壊すればよく、そのために使われたのが、「性解放運動」です。
文化共産主義の源流となったのが、ハンガリーのルカーチと、イタリアのアントニオ・グラムシの二人です。ルカーチは、1919年にハンガリーの教育文化大臣を務め、学校で過激な性教育を進めた人物です。グラムシはイタリア共産党の創設者のひとりで、「まずは文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる」と言いました。
このような思想家が、1923年にフランクフルト大学で「マルクス思想研究所」を立ち上げ、後に「社会研究所」と名称変更しました。これが、「フランクフルト学派」であり、ナチスドイツの台頭によりアメリカに亡命したため、そこでも文化共産主義運動が広まりました。1960年代の欧米における「セクシャル・レボリューション」運動、そしてそれに続く過激なフェミニズム運動は、このフランクフルト学派の影響が色濃く残っています。
日本においても、1990年代以降、過激なフェミニストや共産主義者により、「家族解体策」とも呼べるような施策が次々と打ち出されました。特に、1994年に自民党が社会党と連立政権を樹立し、村山首相により左翼的な施策が打ち出されます。「総理府男女共同参画審議会」が作られ、1999年にジェンダーフリーを埋め込んだ男女共同参画社会基本法が制定され、今日に至ります。女性が社会で活躍するのはよいことですが、そこには基本的な発想として、「女性を家庭から解放する」という理念があることを見逃してはなりません。今年になってから、「LGBT理解増進法」が制定されましたが、その所轄庁は「男女共同参画局」です。
文化共産主義は、日本の伝統的な家族観を破壊するものであり、日本社会における脅威です。目に見える形での国家共産主義と異なり、わかりにくい形で日本の社会に浸透しています。
「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(世界人権宣言第16条)とある通り、家庭は子供の将来のため、ひいては日本の社会のために、絶対的に守られなければなりません。それを破壊する文化共産主義に対しては、その問題点を指摘し、戦っていく必要があると思います。