近代朝鮮と日本
著者は、千葉大学前教授で在日韓国・朝鮮人の、趙景達氏です。明治時代初期から日韓併合までの、朝鮮から見た歴史について書いています。
日本と韓国の歴史的な事実について、日本側の観点と、韓国側の観点は、相当違っていると思います。実際はどうなのか、自分なりに調べてみたいと思い、本屋でこの本を見つけて、読んでみました。以下、概要です。
日本は明治維新以降海軍力を強め、当時鎖国政策をとっていた朝鮮(当時は朝鮮王朝なので、今後このように書きます)に対して開国を迫り、1876年日朝修好条規(江華島条約)を締結します。これは日本の治外法権を認め、朝鮮の関税自主権を否定する一方的なもので、日本が1858年にアメリカと締結した日米修好通商条約と同様不平等なものです。
日本は朝鮮半島の経営に関して清国と対立していました。清国は、朝鮮を属国としていたからです。そして1894年に日清戦争が勃発します。日本と清との戦争ですが、戦場は朝鮮半島です。日本は戦争に勝利して、朝鮮の清国に対する独立が確認され、遼東半島・台湾・膨湖列島を割譲されますが、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により後退を余儀なくされます。朝鮮は清国からの独立を明確にするために、1897年に大韓帝国と名称を変更しました。朝鮮という名称は、中国大陸の歴代政権が、属国として与えた名称だからです。
ロシアは不凍港を求めて満州に進出し、遼東半島の旅順に軍港を作ります。そして朝鮮半島での影響力を強める中、日本はロシアに対する警戒心を強め、1904年に日露戦争が勃発します。日本は1905年に、日本海海戦で東郷平八郎が勝利し、児玉源太郎が203高地を落として旅順陥落させ、日露戦争に勝利します。
日本は、朝鮮は海外から狙われ内紛も多く、そのままでは心もとないという理由で、保護国化政策を進め、1905年に乙巳保護条約を締結しました。この条約により朝鮮は外交権を失い、朝鮮統監府が置かれ、初代統監として伊藤博文が就任しました。
この乙巳保護条約は朝鮮国民の独立心を促し、独立運動があちこちで発生し、1909年には安重根が伊藤博文を暗殺するという事件が起きます。また、諸外国からの朝鮮に対する圧力は益々強くなります。
そこで日本は、朝鮮半島の権益を守るため、朝鮮を日本と一体化させることにより、諸外国に手を出させないようにしたのが、1910年の日韓併合です。ここにおいて、韓国は主権を失い、大韓帝国は消滅し、日本国の一部とされました。
日本は、日本の防衛のため、西洋列強が進めていた植民地政策と同様のことを、朝鮮半島で行いました。これらの施策は、朝鮮が開国し、教育を進め、戸籍制度を導入するなど、近代化を進めた点、朝鮮にとってもよいことであったと言う議論もあります。しかし、朝鮮からすれば、それは自国が自ら望んだことではなく、実力を以て主権を奪われたという点、国の誇りを傷つけられたということになります。
国の立場によって、歴史の事実の捉え方が異なります。それを理解しなければ、日韓関係に関する議論は、いつまでたっても平行線を辿ってしまうように思います。