少数意見の尊重

前述しましたが、少数意見の尊重は、多数決の原理の前提となる、民主主義の基本原則です。
アメリカの国務省のHPに、「民主主義の原則」として記載されている文書が、非常に参考になります。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3080/#jplist

西洋の民主主義の背景にあるのは、キリスト教です。キリスト教は、イエス・キリストが誕生した時に、イスラエル民族が求めていたような、「イスラエル国」という、一つの国家のための宗教ではありませんでした。それまでのユダや教のコンセプトとは異なる、個人の魂の救済を目的としたものだったのです。イエス・キリストはそのため、十字架で処刑されてしまいましたが、その精神は、民主主義として今日に受け継がれています。

したがって、民主主義の根本原則は、個人の基本的人権の尊重です。しかし、個人と個人の権利が衝突することもあります。それを調整するために考え出されたのが、多数決の原理です。
従い、少数意見を無視するような民主主義は、誤っています。神は一人一人に働きかけるものであり、少数派はそれを発表する権利があるのです。

多数派が間違っていて、少数派が正しいということも、多々あります。ナチスドイツは、民衆の熱狂的な支持のもとで、ヨーロッパの制覇を目指しました。しかし、その野望は失敗に終わりました。ナチスドイツに反対する者は迫害され、多くの知識人が海外の亡命しましたが、少数意見の方が正しかったわけです。

ソ連や中国も、民主主義を掲げていますが、これらは全体主義国家です。ウクライナへの侵攻やウィグル民族の迫害を例にあげるまでもなく、多くの人権を奪ってきました。少数意見を抹殺してきた結果です。

前掲の、国務省の「民主主義の原則」に、下記のように書かれています。
「民主主義政府が必ず保護しなければならない基本的人権には、言論と表現の自由、宗教と信仰の自由、法の下での正当な手続きと平等な保護、そして組織を結成し、発言し、異議を唱え、社会の公共生活に全面的に参加する自由などがある。」

民主主義が、自由主義に基づくものか、全体主義に基づくものか、その試金石が、「少数意見の尊重」です。
現在の、家庭連合のおかれた状況は、私たち信者の「少数意見」が尊重されているものとは言えません。
私たちが、「信仰の自由」を訴えるのは、このような背景によります。