イエスの涙
著者は、神学者のピーター・シャビエル氏です。
キリスト教会では、イエス・キリストの十字架は神の予定であると教えていますが、イエス・キリストと神の心情を辿れば、そこには悲痛な叫びが聞こえてくるという、お話です。
物語は、世界中に十字架を見ると嫌悪感が発症するという嫌悪症候群が発生したということから始まります。京都の修道女に、イエス・キリストが夢で現れ、本来は十字架ではなく神の国を作るために生まれたのだと、啓示を与えます。それがバチカンにまで報告され、大きな問題になってしまいます。
イエス・キリストは、神の願いである神の国を地上に作るという使命を持ち、選ばれた民であるイスラエル民族のもとに生まれました。しかし、彼はイスラエル民族には受け入れられず、最後は国を混乱させる犯罪者として、十字架で処刑されました。
十字架による、人類の魂の救済は、非常に重要です。もしイエス様が十字架の上で神を恨み、イスラエル民族を呪っていたら、天国の門は開かれなかったでしょう。
しかし、イエス・キリストが本来の目的として十字架についたのであれば、なぜ最後に「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのですか」と叫んだのでしょうか。
本当は、神の国を作るために地上に生まれたのに、人々が受け入れず、弟子たちが逃げてしまったから、仕方なく十字架の道を選ばざるをえなかったのではないでしょうか。
キリスト教会では、十字架をとても大切にしているので、びっくりするような内容です。しかし、十字架につくイエス様と、それを見つめる神様の心情を思えば、そこには涙しかない、という切ない物語となります。宗教に迫害はつきものですが、それはイエス・キリストの時代から始まっているのかもしれません。