日本国憲法(2)

日本国憲法を改正するべき、もう一つの理由は、安全保障です。

日本国憲法が施行された1947年は、日本はまだ連合国の統治下であり、日本を武装解除し、無力化することに力点が置かれていました。そこで、1945年に成立した国際連合を念頭に、日本に軍事力を持たせずに、国際連合が安全保障を担保するというスキームを、GHQが作ったのだと思います。

日本国憲法の前文に、こう書いてあります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここで、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」というのは、国際連合のことでしょう。できたばかりの国際連合の成果を示そうして、前例のない「崇高な理想」のスキームを、占領下の日本という抵抗のできない国家を使って、実験しようとしたのです。

ところが、1948年のソ連によるベルリン封鎖、1949年の中華人民共和国成立と、東西冷戦がはじまり、1945年当時の国際情勢は大きく変化してしまいました。1950年の朝鮮戦争では、安全保障理事会をソ連がボイコットし国連軍が派遣されましたが、結局朝鮮戦争は終結に至らず、現在も休戦中です。ソ連は世界中を赤化する戦略をとり、一時は世界の2/3の地域が共産主義化しましたが、国際連合は何の手も打てませんでした。東西冷戦後も、2022年のロシアによるウクライナ侵攻に際して、ロシアが安全保障理事会決議を否決したため、何も行動できませんでした。国際連合は国際平和に対して一定の効果はありますが、各国の安全保障を担保することなどできないことが明白になっています。

安全保障の前提を欠いた日本国憲法は、現状に即して改正しなければ、将来の国民の生命と財産を守ることはできません。
戦後の状況に対応するべく、自衛隊が設置され、日米安全保障条約が締結されましたが、その根拠を日本国憲法に求めることができません。今のように、憲法解釈により整合性を保ち続けることには無理があります。連合国の統治下で作られ、他国の思惑で成立した憲法そのままにしている限り、独立国家であると胸を張ることはできません。
自国の安全保障を自分たちで守る努力をすることは、国際社会の常識です。憲法のために国民があるのではありません。国民のために憲法があるのです。国民の視線で、自分たちの国の在るべき姿を、真剣に議論するべきだと思います。