毛沢東の大飢饉

アメリカの社会学者、フランク・ディケーターが書いた、毛沢東主席による、1958年から1962年までの中国の大躍進運動がもたらした、大飢饉を書いたものです。

著者は、中国の公文書資料館に保存されていた資料が期限到来により徐々に公開されたため、それらを丁寧に集めて整理して、この本を書きました。一次資料なので、信頼度が高く、当時の様子がよくわかるものです。

その結果わかってきたことは、「大躍進」は「大飢饉」をもたらし、4500万人の人々が命を落としたということです。中国は自然災害によるものだと説明していますが、これは明らかに人災です。

毛沢東は、ソ連の指導者フルシチョフが、15年でアメリカ経済を追い越すと豪語したことを受けて、「中国は15年でイギリス経済を追い越す」と宣言し、無謀な経済大増産運動に、中国人民を追い立てました。

共産主義の理想社会観に基づき、計画経済で国家の総生産を拡大するというわけです。

ダムなどの大規模工事に農民を駆り立て、農民から土地や家を取り上げて人民公社を作って集団農法を行い、土法高炉(レンガで作った小型の炉)で粗悪な鉄を作ろうとしました。地方幹部は根拠のない増産計画を立て、農民を非効率な生産に追い込み、中国はあっという間に農作物の生産量が落ち込みました。

毛沢東はそれを幹部のせいにし、反対するものを粛清し、それを恐れた地方幹部が農民に対する苛烈な取り立てが加速し、大飢饉が発生しました。その結果、4500万人もの人々が命を落とすこととなったのです。

毛沢東は、このことが原因で、一旦は国家主席の椅子を劉少奇に譲りますが、劉少奇は毛沢東批判を行います。毛沢東が劉少奇や、彼に同調する人々を粛清するために始めたのが、文化大革命だ、というところで、この本は終わります。

これらのことは、共産主義革命による理想社会を建設するという名目で行われました。このような狂気の時代を、中国は総括していません。中国の覇権主義は、習近平に引き継がれ、今日に至っています。形を変えながら、共産主義思想を名目とした覇権主義が、我が国を脅かしているのです。