西川勝先生

日本の、家庭連合(当時は世界基督教統一神霊協会)の設立者である、西川勝先生が、97歳で逝去されたとのことです。
西川先生は、途中で統一教会からは距離を置くようになりましたが、創立当時の信仰と信念は、神が覚えているし、私たちも、忘れてはならないと思います。

学生時代に読んだ、西川勝先生の説教集が、手元にあります。家庭連合の産みの親であり、開拓当時がいかに大変な時代であったかが、よくわかります。巻末に、「懐かしい日本の食口へ 開拓当時をかえりみて」という一文がありますので、一部抜粋します。

「寒さ、飢え、孤独 ― 本当にイエス様の語られる、”狐は穴あり、空の鳥はねぐらあり、されど人の子は枕する所なし”、という言葉が身にしみた。その当時の私は百パーセント不自由不幸な身であった。ついに私は最後の頼みの身体まで弱り切り血を吐くようになった。しかし病院に行けない、本当に死ぬか生きるか、倒れるか立つかの最後の線に来た。天に対する祈りも通じなくなった。あのイエスの十字架上で、父よ父よ我を見捨て給うか、といった如くである。

このどん底の自分に、天に対する信仰と、日本民族に対する愛と忠誠とを変えさせなかったのは、原理を土台とした明確な正義感と、全体と個に対する未来の希望が燃えていたからである。今日の共産ゲリラが、浅薄な理念ながら苦労の内に不変不屈の精神で闘うのも、この私のような信念からであろう。

 松本さんが来た。彼女は信仰の篤い女性として私の立場を良く理解して助けてくれたので、この時から私の事情は好転し始めて、戸塚の雄鶏舎の店員生活より狭いながらも独立することができるようになった。そして節ちゃん、裕子ちゃんが来、千鶴子、沢とみっちゃん、トミ子さんが来てその賢明さと勤勉さとで経済はようやく支えられるようになり、リヤカーを引いての私の廃品回収も終わりを告げ、もっぱら伝道に専念することができた。

その当時の一人一人は私にとって、自分の存在よりも尊く思われ、私は自分を愛するより以上に彼らを愛した。それは本当に親が子を愛する気持ちそのものであった。そして時々誰かに信仰的動揺がきたりすると私は夜も眠れない程心配した。本当にいかに天の子女一人を産み育てることが難しいかを知らされた。私はもともと冗談好きな人間であったが、初めの四、五年は一言の冗談も言わなかった。いかに真剣であるかを知らされた。」

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。