解散命令請求の結果はどうなるか
家庭連合に関して、政府が準備を進めている解散命令の請求ですが、その結果はどうなるでしょうか。
解散命令が請求されても、実際には解散命令は出ないのではないか、という見方も、一部ではされているようですが、私は、解散命令が出されてしまう可能性は高いと思います。理由は下記の通りです。
●これまで、文部科学省が申立人となって解散命令の請求が出たのに、解散命令が出されなかった前例がない。
●裁判所が、解散命令の決定においての判断材料は、解散命令を請求をする文部科学省が提出したものしかない。
●口頭弁論が開かれないため、非公開の陳述以外に、家庭連合が反論する機会がない。
●解散命令請求を棄却した場合、解散命令請求をした政府ではなく、解散命令を出さなかった裁判所が、世論の非難を受ける。
過去、文部科学省が申立人となって解散命令請求をした事例は、オウム真理教と明覚寺の2例しかありません。2例とも、解散命令が出ました。それぞれの例を、時系列で整理すると、下記の通りです。
①オウム真理教
1995年3月20日 地下鉄サリン事件
1995年6月30日 解散命令の請求
1995年10月30日 解散命令の決定(東京地裁)
1995年12月19日 即時抗告棄却(東京高裁)
1996年1月30日 特別抗告棄却(最高裁判所)⇒解散命令の確定
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/141-2.html
②明覚寺
1999年12月24日 解散命令の請求
2002年1月24日 解散命令の決定(和歌山地裁)
2002年9月27日 即時抗告棄却(大阪高裁)
2002年10月4日 特別抗告⇒棄却⇒解散命令の確定
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/shuukyo/gijiroku/03030301.htm
解散命令の請求から解散命令まで、オウム真理教で4か月、明覚寺でも2年1ケ月という、短い期間です。
同じオウム真理教でも、教祖の麻原彰晃の刑事裁判は判決を伴うものであり、逮捕から死刑確定までは、下記の日程でした。
1995年5月16日 逮捕
1996年4月24日 初公判(東京地裁)
2004年2月27日 死刑判決(東京地裁)
2006年3月27日 控訴棄却(東京高裁)
2006年9月15日 特別抗告棄却(最高裁)⇒死刑確定
2018年7月6日 死刑執行
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83_%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81#cite_note-130
初公判から死刑確定まで10年、さらに死刑執行までは12年という、長い期間が経過しています。
どうしてこのような違いがでるかと言えば、解散命令の裁判は、「判決」ではなく、「決定」だからです。「決定」では、テレビドラマなどでよく見る、被告と原告の弁護士が論戦する、口頭弁論は開かれません。訴状が解散される側に送達されないので、反論もできません。裁判所の中だけで判断するので、結果が早くでるのです。
裁判官の正義に信頼したいところではありますが、公平な裁判の制度的な担保がない以上、政府が解散請求をすれば、解散命令は出されてしまうのではないかと、私は思います。
1612年に江戸幕府でキリシタン禁止令が出され、1873年に明治政府により解除されるまで、260年もの間、キリスト教信者は、隠れキリシタンとして生きていきました。それと同じことが、現代の日本でも起きるのです。
今回の解散命令の請求は、重大な宗教迫害事件として、歴史に刻まれることになります。岸田政権は、その評価に耐えることができるのでしょうか。