宗教二世について

家庭連合に関しては、宗教二世が犠牲者であるという報道がされています。小川さゆりさん(仮名)が、親の信仰のために、人権が侵害されていて、家庭連合を解散するよう、強く訴えているのが、きっかけになっていると思います。

小川さゆりさんの話は、心が痛いですが、宗教二世であるかどうかの以前に、これは親子の問題です。周囲の人々は、まず小川さん親子が話しをできるようにサポートするべきだと思います。

私も人の親であり、子供に対してどのように接するのか、いろいろと思い悩みます。宗教の問題ではありません。子供のことで悩まない親など、いないのではないでしょうか。
私の子供も、信仰を持っている子供、そうでない子供、それぞれですが、それが問題なのではありません。その子供にとって、何が必要なのか、できるだけのサポートをするのが、親となった者の使命だと思います。

新約聖書に、放蕩息子の譬え話があります。家業も継がずに遊び回っていた息子が無一文で帰ってきた時、父親は無条件で受け入れて、抱きしめるのです。(ルカ福音書15章20節)このエピソードは、キリスト教では、息子が自らの非を悔い改めて帰ってきたというのがポイントとされているようですが、私は、親はどんなことがあっても、子供を抱きしめてあげるというところに共感します。

宗教二世だから、親の信仰を受け継がなければならない、なんてことはありません。子供には子供の生き方があります。子供にとっては、無条件の愛情が大切なのであって、これは宗教の問題ではなく、親子の問題なのです。

親が宗教を持っていることは、その家庭の属性の一つです。子供は親を選べません。貧乏な家庭もあれば、片親の家庭もあります。親が犯罪者だという家庭もあるかもしれません。しかし、どんな家庭であっても、無条件に子供に愛情を注いであげる、それは親にしかできない最大の務めだと思うのです。

報道機関や行政は、宗教二世は人権侵害の被害者であるとして、問題視しています。しかし、親子の問題に、宗教を持ち込むべきではありません。家庭連合の話に限らず、宗教二世という言葉には、信教の自由を制限する意図を強く感じます。それはとても危険なことだと思います。